放射線防護学者の安斎育郎さんを中心とした
「福島プロジェクト」の活動を撮り続けている。
断片的には放送しているが、
いずれかの時点で一本にまとめようと考えていて、
定年までに果たさなければならない「宿題」のひとつだ。
「福島プロジェクト」は、
月に一度、二泊三日で福島を訪ねて、
住民の希望を受けて放射線を測定したり、
簡単な除染や遮蔽など
自分でできる放射線防護策のアドバイスを行なっている。
安斎さんは74歳(写真左…4月、南相馬で撮影)、
東大工学部原子力工学科の一期生で、
1970年代前半から反原発の立場を明らかにしている。
そのため教授に疎まれ、
「万年助手」の地位に甘んじるなど、
ずいぶん冷や飯を食わされてきた人である。
そうした経歴の持ち主でありながら、
「原発事故を食い止められなかった」自責の念から
福島の住民を支える活動に乗り出した。
「原子力を推進してきた東京大学の一員」との思いから
福島支援に取り組んできた児玉龍彦東大教授とも共通する、
知識人としての責任感であり、身の処し方だと思う。
「福島プロジェクト」は
ボランティアで震災直後から三年以上続いている活動で、
安斎さんの志に共鳴する
桂川秀嗣東邦大学名誉教授(河川の放射能汚染の専門家)
佐藤理福島学院大学教授(食事に含まれる放射線の調査)
GPSと連動した放射線測定装置などを開発した
エンジニアの山口英俊さん、早川敏雄さんが参加している。
(室内の放射線量を測定する早川敏雄さん)
(GPSを活用したホット・スポット・ファインダー)
安斎さんたちは
実測データを基にした
科学的・客観的な放射線評価を心がけていて、
いたずらに住民の不安を煽る言動は慎重に避けている。
かといって一部の専門家のように
ひたすら「安全」を言い募るわけではない。
「放射線量は低ければ低いほどいい」という
放射線防護学の鉄則に忠実に、
あくまで住民サイドに立った支援活動を続けてきた。
きょう福島プロジェクトが訪れたのは、
川俣町の山あいにあるNさんのお宅。
Nさんは原発事故後、
母子で米沢に避難していたが、
娘さんが東京の大学に進学したのをきっかけに
不安を持ちながらも川俣町の夫のもとに戻ってきた。
そこで家の周辺をくまなく歩いて
まずは空間放射線量を測定していく。
すでに除染が終わっていることもあって、
大半の場所が毎時0.2~0.3マイクロシーベルトと低い。
室内は0.1マイクロシーベルト台で、
京都在住の安斎さんは
「私の家のあたりとそれほど変わりませんよ」という。
地質の関係で関西は比較的自然放射線量が高いのである。
自然放射線で言えば、
例えばフランスなら年間5ミリシーベルトを超えるので、
原発事故による増加分を計算に入れても
福島(の大部分の地域)はその半分にも充たない。
「神経質に怖れるほどではない」というのが
放射線防護の専門家である安斎さんの見立てだ。
それでも「放射線量は低ければ低いほどいい」ので、
例えば0.5マイクロシーベルトあった雨樋下の側溝には、
そばにあった平たい石を持ってきて蓋をして
側溝に溜まった泥からくる放射線を遮蔽することにした。
これだけで人体への影響はかなり軽減されるという。
個別事情に即して臨機応変に対処するのが「安斎流」だ。
ところが、Nさん宅には思わぬ問題が潜んでいた。
裏山の木を伐って
薪で風呂を沸かす生活を続けていたのである。
Nさんは放射能に汚染された薪を燃やすことで、
近所にセシウムが拡散するのではないかと心配していた。
しかし、薪を燃やしたときの温度は
セシウムがどんどん気化し続けるほど高くはない。
従って敷地外に拡散する心配はないだろうというのが
安斎さんと桂川さん、二人の専門家の共通した見解だった。
むしろ問題は煤や灰だろうというので測定することに。
エンジニアの山口さんは、
その場で、それも一分ほどのあいだに、
土などに含まれた放射線を測定できる装置を開発している。
測定の結果、
煙突の中に残っていた煤から1キロあたり7万ベクレルほど、
ボイラーに残った灰からは約2万ベクレルが検出された。
この数字は国が定めた「指定廃棄物」に相当し、
管理型産業廃棄物処分場に収めなければならないレベルだ。
しかし、現状では、
家庭で発生する放射性廃棄物を処理する仕組みはない。
かといって、そのまま棄てるわけにもいかない。
安斎さんは応急処置として、
袋に入れたうえで
敷地のあまり人が近づかない一角に穴を掘って埋め、
土をかぶせて当面は保管しておくようNさんに指示した。
そして、詳細な調査報告を書いて送るので、
それをもとに
石油かガスのボイラーに切り替える費用を負担するよう
東電と交渉した方がいいとアドバイスを行なった。
Nさん宅の裏山には杉の木が多い。
安斎さんは3年間にわたる調査の経験から
他の樹種に比べて杉は汚染されている確率が高いという。
自宅周辺の空間線量は低いとはいえ、
Nさん一家は不安と背中合わせの生活を続けることになる。
このようにして
安斎育郎さんは徹底的な現場主義で住民の生活に寄り添う。
自らは安全地帯に身を置きながら「安全」を
あるいは「危険」を叫ぶ専門家とはそこが違う。
体が許す限りあと10年、
「福島プロジェクト」の活動を続けたいという。
しかし、企業や団体などのバックがあるわけではないので、
5人が二泊三日で毎月福島に通うのは資金的には大変だ。
いまクラウドファンディングで資金を募っている。
http://shootingstar.jp/projects/936
できれば福島の人たち以外から支援を得たいという。
目標は150万円。
期間は残り30日で70万円余りが集まっている。
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