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3年目の一時帰国 ちょっとだけ浦島太郎

私の父は、1970年代に足掛け七年に及ぶドバイでの単身赴任の経験者。当時はもちろんインターネットはなく、国際電話もとんでもなく馬鹿高いので、そうそう使えない時代。最後には日本の親会社が倒産して、自力で現地で仕事を見つけて、帰国の飛行機代を稼いで帰って来たという苦労人です。

おそらく帰国後は、何から何まで変わってしまい、浦島太郎状態だったでしょう。息子である私が、小学生から高校生になっていたので、それが一番の変化だったかもしれません。

そんな時代に比べると、今ではフィリピンにいても、ほとんど日本にいるのと同じぐらいに情報が入ってくる。しかもフェイス・ブックやツィッター、LINEなどなど、動画で会話もできる。日々の近況など私が福岡に住んでいる時より、関西在住の友人知人とは連絡が密になっているぐらい。

とは言っても、前回の投稿のように、食べ物の味はその場に行かないと分からないし、親戚の子供の成長具合や、街並みの変化については、やはりちょっとだけ浦島太郎気分。

今回は、東京へも足を伸ばし、同窓会や旧知の人たちとの再会の合間に、大型の電気製品量販店へ。中国・韓国からの観光客が多いとは聞いてましたが、噂に違わぬとはこのこと。平日の朝、開店時間にはもうたくさんのお客さんが並んでるし、聞こえてくるのは中国語や韓国語ばかり。そういえば、前日待ち合わせをした品川駅でも似たような雰囲気でしたね。


昔も繁華街では時々中国からの団体客を見たものですが、失礼ながら当時は服装もダサく、見るからに田舎者丸出しの人が多かった。ところが、今では見た目は日本人の家族連れと大差がない。(友人に言わせると女性のメイクが違うらしいんですが。)

電気店でも駅でも、案内表示は日英に加えて中韓の4ヶ国語表記が当たり前。私は有楽町のビックカメラで少し買い物をしましたが、フィリピンでやたら韓国人に間違われるので、日本人と思ってもらえるか、ちょっと緊張してしまいした。



地元では、万博公園にできたエキスポシティが
一番変化が大きかった場所でした



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