フィリピンの公用語は、英語とフィリピノ語。フィリピノ語とは、もともとマニラ首都圏を含むルソン島南部で話される言語で、日本ではタガログ語として知られています。
第二次大戦後、フィリピンでポピュラー音楽と言えば、もっぱらアメリカの楽曲ばかり。ところが1970年代以降、音楽の世界でも自国の誇りを取り戻そうと、フィリピン人が作詞作曲したフィリピノ語の歌「OPM」(Original Philipino Music)が、爆発的に広がりました。
日本で唯一有名なフィリピンの歌「ANAK(アナック) 息子よ」がヒットしたのが1977年。今ではANAKを歌った歌手フレディ・アギラーは、OPMの父と呼ばれています。
そんなOPMのCDを、私が初めて購入したのは、1995年、出張先のマレーシア。クアラルンプール空港の免税店でジャケ買いしたのが、フィリピン人歌手ドナ・クルーズのアルバム「Habang May Buhay(ハーバン・マイ・ブーハイ)」でした。
内容は全然知らず、お土産代わりに買っただけだったのですが、聴いてみるとこれがなかなか良い。すっかりハマってしまい、会社の行き帰りの車の中で、何度も繰り返し聞きました。ついにはタイトル曲のハーバン・マイ・ブーハイを、暗記してしまうほど。(このエピソードは以前、このブログで少し触れました。)
ところで、当時は、フィリピノ語とマレー語の区別もつかなかった、東南アジア初心者の私。ずいぶん長い事ドナ・クルーズは、マレーシアの歌手だと思ってました。何度目かのマニラで、偶然タクシーのFMラジオから流れていて、やっとフィリピンでも超売れっ子の国民的歌手だと分かった次第。
このアルバム、OPMセールスの記録を作るほどの売り上げで、ハーバン・マイ・ブーハイは、フィリピンでは知らぬ人がいないほど有名な曲。フィリピンのカラオケで歌うと、人気者になれること間違いなしです。
そしてその数年後、今の家内と知り合いました。何がきっかけだったのかは、忘れてしまいましたが、家内が一番好きなOPMがハーバン・マイ・ブーハイだと知った時は、びっくり。その後、一生懸命練習して、デートの時、家内にフルコーラス歌って聴かせましたよ。因みに歌詞の日本語訳は、こんな感じです。(かなり意訳)
Habang May Buhay 〜命の限り〜
あなたのそばにいられるならば
それが続く限りずっと
永遠の命がほしい
私の命
私の命
すべてをあなたに捧げたい
私を愛して
それだけが私の祈り
心の中のともし火は、決して消えない
命ある限り
命ある限り
血潮の流れが絶えるまで
あなただけにすべてを捧げる
ただあなたのことが知りたい
この世界の隅々まで
私の夢は、あなただけに
当時は、意味も分からず丸暗記で歌ったのですが、内容を理解してたら、ちょっと歌うのをためらったかも知れませんね。 日本語にすると、ずいぶん大上段に振りかぶったラブソング。最近では、聴き飽きたようで、私が歌ってても「シカト」する家内なのでした。
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