生まれ故郷の松江で十二年に一度行われる
舟神事「ホーランエンヤ」を見物する。
親戚(親父の亡兄)の家が大橋川沿いにあって
その二階が祭見物には特等席である。
天気は生憎の雨模様だが、
十二年に一度の祭とあっては雨もものかは、
松江にもこんなに人がいたんだ…
と思うくらいの人出となった。
と思うくらいの人出となった。
正式には「松江城山稲荷神社式年神幸祭」。
要するに城山(じょうざん)にあるお稲荷さんが
十二年に一度、
隣町の阿太加夜(あたかや)神社まで
舟に乗って出稼ぎ(?)に行く、
その道中を漁師たちの舟がお供するというものだ。
お供するのは、
「五大地」と呼ばれる
馬潟、矢田、大井、福富、大海崎の櫂伝馬船で、
それぞれ華やかに飾り付け、
舳先と艫では
歌舞伎の衣装をつけ、隈取りをした若者が舞う。
(舳先が男衣装の「剣櫂」、
艫が女の衣装で舞う「采振り」である)
馬潟の漁師たちが船を出してこれを助けたことに
由縁をもつ祭だという。
そのため、現在でも、
馬潟の舟が神輿舟に一番近づくことができる。
その馬潟の舟の踊り子(…というのだろうか?)は
十代半ば…
いまで云えば、中高生しか務めることが出来ない。
いまで云えば、中高生しか務めることが出来ない。
こうした細かい取り決めがいろいろあり、
それを知ればますます興趣が湧こうというものだ。
剣櫂や采振りを務めるのは
五大地出身の若者でなければならないし、
十二年に一度の祭が年齢と合わなければならない。
好運に恵まれ、選ばれたものだけが
生涯に一度だけ務めることが出来る晴れ舞台だ。
それだけに、
懸命さが観ている者に感動として伝わってくる。
自分の故郷だけに身贔屓が入るかも知れないが、
勇壮かつ華麗な、大変いい祭である。
次回は65歳、
そのときに、またぜひ来てみたいものだと思った。
その頃にはきっと
暮らしにもいくらか余裕が出来ていることだろう。
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