「ガラスの巨塔」とは、いうまでもなく、ガラス張りのNHK放送センターのことである。
帯の惹句が如何にもスキャンダラスであり、
読む前は、古巣のNHKに後ろ足で砂をかける、低次元の暴露本かと思わないでもなかった。
今井がなぜ今更こんな本を出すのかと怪訝に思ったのは事実である。
しかし、読んでみて、
傑出した「番組屋」であり、ドキュメンタリーの作り手だった今井の呻きが伝わってくるような気がした。
「小説」と銘打ってはいるが、
ほとんどが本当の話…少なくとも「今井彰にとっての真実」であるだろうと思う。
「悪役」とされた人たちを含め、ぼくにはほとんど誰のことかわかるし、読後感は複雑極まりない。
今井とは、たぶん一度だけだが、一緒に酒を飲んだことがある。
いまから10年あまり前の話で、ぼくは北海道の田舎の局のプロデューサーをしていた。
当時のぼくは、番組化の難しい、日本の戦争責任に絡む話を抱えており、
「ETV特集」のプロデューサーをしていた今井のところに売り込みに行ったのである。
今井とぼくはほぼ同世代のディレクターだが、
彼が「タイス少佐の証言」などで頭角を現した'90年代、
ぼくは北海道に居続けをしており面識はないに等しかった。
しかし、それでも彼のところに企画を持ち込んだのは、
優れたドキュメンタリーを作り続けてきたディレクター、プロデューサーとして、
彼ならなんとかこの番組を実現させてくれるのではないかという信頼感を抱いていたからだ。
結局、その番組は、彼の後を継いだプロデューサーの尽力によって実現するのだが…それはまた別の話。
その後、しばらくして今井は「ETV特集」を離れ、新番組「プロジェクトX」を起ち上げた。
ぼくは第三回の放送だったと思うが、VHSの開発に携わった日本ビクターの技術者の話を北海道でみた。
大変優れた、完成度の高い番組で、
亡くなった主人公の遺体を乗せた車がビクターの工場を訪れるシーンでは思わず涙がこぼれそうになった。
しかし、同時に、ぼくのディレクターとしての直感は「この番組はこれで終わり」だと告げていた。
三回目にして完成形が示されたことで、
あとは何本作ってもこの番組をなぞることにしかならないだろうと思ったのである。
今井は「ガラスの巨塔」で触れることを避けているが、
「プロジェクトX」の成功の秘密は明確なフォーマットを作り上げたことにある。
複雑多岐な現実を予め定められた番組の「鋳型」に流し込むことで、
未熟な若いディレクターが作っても一定の品質を維持できる仕掛けだったと思う。
ぼくがVHSの回を見て「この番組をなぞることにしかならないだろうと思った」のはある種の誤解で、
プロデューサーだった今井はそれを方法論的に明確に意識していたはずである。
そして、事実をある「鋳型」にはめこもうとしたとき、番組はステレオタイプにならざるを得ない。
ステレオタイプであることは、一面において安定した「感動」を約束することでもあるのだが。
テレビは時間とともに流れ去るメディアで、
途中で解らなくなったからといってページを戻って読み直すことはできない。
だから、いきおいストーリーの展開は単純に「わかりやすく」…ややもすれば紋切り型になる。
テレビは、本質的にステレオタイプに陥りやすいメディアなのである。
ぼくはドキュメンタリーを志す人間として、
どうやってステレオタイプから抜け出るかを常に考えてきた。
現実の持つ矛盾や多義性を番組のなかに如何に盛り込むかが変わらぬ課題だった(いまもそうだ)。
ぼくは確信犯的にステレオタイプを量産する「プロジェクトX」に興味が持てず、
腕っこきのドキュメンタリー屋であったはずの今井がこの番組に入れ込むのが理解できなかった。
ぼくは2000年に東京に転勤して、
かつて今井がプロデューサーを務めた「ETV特集」を手がけるようになったが、
たまに廊下ですれ違えば会釈をするくらいで、今井はぼくから見えない存在になっていった。
「プロジェクトX」以降の今井がぼくから見えなかった理由に、
「ガラスの巨塔」を読んで初めて思い当たった。
大ヒットをするとともに社会的にも高い評価を獲得したことで、
今井は当時の海老沢会長の知遇を得、NHKという組織の中枢に至る階段を駆け登っていたのである。
こうしたことに疎いぼくは、この本を読むまで全く思いも至らなかったことである。
帯の惹句に「『選ばれし者』の特別職に誰よりも早く抜擢され」とあるが、
その伝で云えば、今井より一期先輩だがいまだに特別職になっていない、
たぶん特別職にならないまま定年を迎えるだろうぼくは「選ばれざる者」(笑)に違いない。
そして、「選ばれし者」と「選ばれざる者」では、組織の風景がまるで違ったものに見えるらしい。
「選ばれし者」になってしまった今井が見たものは、
権謀術策、嫉みや保身が支配し、怪文書が飛び交う亡者たちの世界であったようだ。
幸い…というべきだろう、「選ばれざるもの」の世界にそんなものはない。
「保身」を図ろうにも、守るべき地位や名誉があるわけじゃないから…(爆)。
「ガラスの巨塔」には、
天皇と呼ばれるほどの実力者「藤堂会長」が、
主人公(西=今井)に向かって次のようにいう件がある。
「わしは暗いのが大嫌いなんだ。
番組局も報道局も、ドキュメンタリーなどと馬鹿なことを言って、真っ暗な番組を作りたがる。
大きな勘違いだ。そんな暗い番組、誰も見たくない。全部やめさせてやる!」
たぶん、本当にそう言ったのだろうな、藤堂=海老沢会長。
そんな「会長」を後ろ盾にして番組(「プロジェクトX」)を守ろうとした今井と、
そんな「会長」から番組(「ETV特集」)を守ろうと必死になっていたぼくたちでは、
同じ組織にいながら目に映る風景はまるっきり違う。
当然、海老沢会長に対する評価もほとんど180°違わざるを得ない。
だが、海老沢さんが失脚した途端、
海老沢派と目された今井が手のひらを返すように冷遇されるというのは、如何にもありそうな話に思える。
この本は「告発の書」とも「怨念の書」とも読めるが、ぼくは今井の「懺悔録」だと思いながら読んだ。
「プロジェクトX」の爆発的な成功とともに、
「上に向かって転落」していったという思いが今井自身にあるのではないか。
よりよい番組を作ることしか考えていなかったはずの男の“転落”の軌跡は、ひどく切ないものに思えた。
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