明日から北秋田〜十和田でロケなので、この足で大館能代空港まで飛ぶつもりである。
異国での弔いはもちろん初めての体験で、彼我の風習の違いには驚くことが多かった。
ひとつは故人の自宅に遺体がなかったことで、
衛生上の問題なのか、遺体は葬式の当日まで市当局が保管することになっているという。
つまり、妻は遺体の置かれていない部屋で、遺影に線香をあげながら通夜を過ごしていたわけである。
葬式は市の中心部にある巨大な葬儀場で行われた。
上海都心部には葬儀場が二つあり、居住地によりそのどちらかで葬儀をあげるよう定められているらしい。
1000万ちかい人が住む上海都心部に葬儀場が二つだから、その巨大さと混雑には度肝を抜かれた。
ワンフロアに葬儀場が(数えたわけではないが)十くらいあるのではないか。
そのほとんどで弔いが行われており、フロアは人でごった返している。
まごまごしていると、自分の葬式はどれなのかわからなくなってしまいそうだ。
不謹慎かもしれないが、ぼくは思わず息子に「こりゃ葬式のデパートだな」と呟いていた。
「葬儀場」といってもちょっとした会議室程度の部屋で、椅子もない。
部屋の両側に花輪を並べるようになっていて、
正面に遺体を入れる透明なアクリルの“容器”が据えられている。
その奥のドアに妻が呼び込まれて、しばらくすると激しく号泣する声が聞こえてきた。
慌てて、息子や妻の妹たちと一緒に奥に飛び込むと、そこに棺に横たえられた義父がいた。
死化粧がこれでいいかどうか、妻は確認を求められたらしい。
日本にいて死に目に会えなかった妻や妹にとって、これが亡骸となった父親との最初の対面である。
身を震わせて泣く妻を傍らにいて、ぼくは体をさすってやることしか出来ない。
義父の顔はきれいで、まるで眠っているようだった。
中国の「おくりびと」はなかなか腕がいいようだ。
やがて葬儀が始まる。
参列者は立ったままで、宗教色はなく、僧侶の類いもいない。
最初に義父の同僚だった人物が弔辞を述べる。
続いて妻が前に進み出て父の思い出を語り、挨拶をした。
(ぼくには一言も理解できないが、妻に相談されて挨拶で云うべきことをアドバイスしていた。)
日本であれば喪主は夫人になるのだろうが、中国では実子が務める習わしだという。
ときどき、若い女性のカメラマンが部屋に入ってきて、挨拶も会釈すらなく写真を撮って、また引っ込む。
妻の挨拶が終わると、参列者が順に棺に花を捧げていく。
妻は透明アクリルに手をかけて父親に呼びかけ、係員に注意されていた。
ちょっとでも列が滞ると、係員は容赦なく急げと指示する。
実にビジネスライクというか、流れ作業そのものである。
肉親を亡くしたばかりの遺族を思いやる気持など微塵も感じられない。
たぶん、時間刻みに葬式が入っていて、ゆっくりやっていたのではまわらないのだろう。
葬儀はちょうど30分で終わった。
火葬場に遺族がついていくことは許されていない。
遺体を運び出す前にちょっとした別れの時間が用意されている。
妻は棺に縋りつき、父親に呼びかけながら泣き叫ぶ。
妹も一緒に声をあげて泣き、語りかけている。
ぼくには二人が何を叫んでいるのか、わからない。
中国では遺族は身も世もなく泣き喚くのがある種の文化で、
日本暮らしが長い妻や妹にもそのDNAが体の中に埋め込まれているらしい。
韓国もそうで、髪を振り乱し「哀号!」と泣き叫ぶのを映画などでみた記憶がある。
親戚というより、ほとんど兄弟のような民族でありながら、日本は「嗚咽を噛み殺す」文化だ。
狭い海ひとつを隔ててなぜこうも違うのだろうと、ぼくはそんなことを考えていた。
なにせ「葬式のデパート」だから、あちらからもこちらからも泣き叫ぶ声、絶叫が聞こえる。
凄まじいばかりの喧騒のなかで、ぼくは妻の肩を抱いている。
遺体はエレベーターで地下に運ばれ、そこから車で火葬場に向かった。
日本で暮らす姉妹と父親との永訣の時間は僅かに30分あまりで、ゆっくり別れを惜しむいとまさえない。
その慌ただしさをぼくは妻のために恨めしく思った。
3日後に窓口を訪ねると遺灰を渡してくれるのだそうだ。
なんだか役所で証明書でも発行してもらうような話である。
葬儀が終わると、親戚一同、貸し切りバスで食事に向かった。
このバスの運転手が凄かった。
まず、くわえタバコで運転を始めたことに吃驚する。
(タバコの煙が苦手な姪っ子が悲鳴を上げた。)
上海の人たちの車の運転は一般に乱暴だが、この運転手も凄まじい。
渋滞する道でスピードを出し、
乱暴に左右にハンドルを切りながらけたたましくクラクションを鳴らし、
前の車の運転ぶりにたえまなく悪態をつきながら走っていく。
ときに窓を開けて路上に痰を吐く。
信号待ちのあいだにドアを開けて隣の車の運転手と世間話をする。
「おい、どうだ」「お客たくさん乗せ過ぎて運転が大変だよ」「俺はこの後もう一仕事だ」
…妻の通訳によるとそんな話をしていたらしい。
駐車場では、交通整理の係員と怒鳴り合いをする。
(上海語は耳にキツイので、もしかしたら単に「大声で話をしている」だけだったのかもしれないが。)
最後は歩道に乗り上げてバスを走らせ、通行人の女性の後に寸止めで駐車した。
腕に覚えがあるのかもしれないが、
もし女性が足を止めて振り返りでもしていたら、もうひとつ葬式を出すことにもなりかねない運転である。
ぼくを含め日本からきた親戚は一同「目が点」の状態で、しみじみ故人を偲ぶ余裕を失っていた。
食事会の会場は「葬式後の食事」の専門店らしかった。
さっきの葬儀場で運行を司っていた係員が先に来ていて、勝手に店に入ろうとしたぼくは怒られた。
遺影を先頭に、火の上をまたいで体を浄めてから入らなければならないしきたりらしい。
店の二階は陽気に飲み食いしている人たちで一杯である。
どこにでもある中華料理店の風景だが、
喪章を付けていたり(中国にはとりたてて「礼服」というのはないようだ)、
近親の遺族であることを示す白い帯を腰に巻いたりしている人が大声で話しながら食べている。
なかには立ち上がって一気飲みをしている遺族もいて驚かされる。
店には「禁煙」の貼り紙があるが、誰も構わず盛大にタバコを吸う(中国男性の喫煙率は極めて高い)。
それはうちの親戚も同じことで、気がついたらテーブルには店からサービスのタバコの箱が置いてあった。
料理はまず「豆腐のスープ」から食べるのがしきたりらしいが、
後は普通と同じで、エビや蟹、脂っこい料理が次々に運ばれてくる。
この料理を運んでくるスピードがなんとも慌ただしいもので、
まだ食べ終わっていない皿の上にまた皿を重ね、丸テーブルの上はあっというまに皿の山になる。
ぼくは中華料理には詳しくないが、
甘いものが出てきた後にスープが出てきたり、なんだか料理の順番もムチャクチャなような気がした。
亡父の親戚たちはそれぞれテーブルを囲んで談笑していたが、
そのうち件の運転手が、「もう時間だ」といいながらまだ食べている人たちを追い立て始めた。
テーブルの上には膨大な食べ残しが残された…
結局、喧騒と慌ただしさに追いまくられて、しみじみと故人を想う時間が持てなかったような気がする。
それはもちろん、ぼくが中国語ができないからに過ぎないのかもしれないが。
ただ、凄まじいまでの経済成長の道をひた走る中国には
死んでいく者を悼む余裕がまだないのかもしれないとは思った。
アカの他人の死を悼み遺族に惻隠の情を抱くには、
もうちょっと社会が成熟する、もっと云えばいくらか衰退する必要があるのではないか。
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