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日本再生計画大綱・試案

…というほど大袈裟なものであるはずもないのだが(笑)。

ロケを終えての伊那からの帰り道、つらつらと考えた。
仕事で多様な現実と向かいあい、様々な人たちと会って話をする。
そうすると、自分のなかで価値判断の座標軸が微調整を繰り返しながらも次第に固まってきて、
一種の「世界観」とでもいうべきものができてくる。
30年もこういう仕事をしていると、自分なりの「世の中の見方」ができあがってくるのである。

いま、日本は確実に「右肩下がりの時代」に入ったとつくづく思う。
世間では、不況だ、デフレだのと云うが、
いまの日本の「不況」は景気循環の範疇を大きく逸脱していて、
言い換えれば、もう二度とこの国に「好況」(経済成長の時代)は来ないというのがぼくの確信である。
理由は加速度的な社会の高齢化と生産人口(15〜65歳)の減少で、
(このあたりの表現は藻谷浩介氏の著書「デフレの正体」に多くを負っている)
早い話が盛んに「消費」をする現役世代が減る一方なので、
市場が収縮し、お金がまわらなくなり、経済が地盤沈下するということである。
消費不況(内需の縮小)はモノやサービスの価格破壊を招き、価格破壊は労働市場を直撃する。
失職したり給与が下がったりした人たちはますます消費をしなくなるから、
市場の収縮にさらに拍車がかかるという負のスパイラルに陥っているのが日本経済だ。
取材させていただいている中小零細企業の多くが、
業界を問わず、小さくなる一方のパイを奪い合って構造的な安売り合戦に巻き込まれており、
仕事はあっても利益が出ない、あるいは資金繰りをつなげるために赤字を承知で受注を続けている。
社長たちは自分の個人資産や年金を会社に注ぎ込んで、かろうじて事業を維持しているのが現実である。
もはや「生業」として成立していないことは明白で、そんなことがいつまでも続くはずもない。
借金の返済を猶予するいまの「金融モラトリアム」は問題の先送りに過ぎず、
モラトリアムの終了とともに溜まりに溜まった膿が一気に噴き出すことになるだろう。

前述した藻谷氏の著書によれば、1400兆円と云われる日本の金融資産の多くは高齢者の手許にあるという。
ところが、高齢者はその資産を消費にまわそうとはしない。
現役世代には金がなく、資産を持っている高齢者は「使わない」のである。
高齢者がお金を使わない理由ははっきりしていて、将来が「不安」だからだ。
体が利かなくなったとき、病に倒れたときを考えれば、多少の蓄えがなければ不安で堪らない…
その気持ちは高齢者のトバ口に近づいているぼくにもよく解る。
日本の医療や福祉のシステムは、高齢者が安心して身を委ねるというには程遠いものだからだ。
取材に協力して下さっている経営コンサルタントの方々とその話で盛り上がったのだが、
年金受給世代に属する彼らの家族…母親や妻が、全くお金を使おうとしないというのである。
これでは経済成長など夢のような話である。
日本が経済成長期に蓄えた資産は不安を抱えた高齢者が死蔵したままで、
故にお金がまわらず、市場は収縮し、日本経済は力を失っていくばかりだ。

とすれば、下降線を描いていく日本社会の凋落に多少なりとも歯止めをかけようと思えば、
やるべきことははっきりしている。
まさか国を挙げて「オレオレ詐欺」を行って
高齢者から現役世代への所得移転を進めるわけにもいかないだろうから、
国策として「高齢者が安心してお金を使える環境」を作り出すしかないのである。
つまり、医療・福祉の分野に集中投資を行い、
お金がなくても安心して老後を過ごせるシステムを完成させるしかない。
そうすれば、高齢者が貯め込んだお金は少しずつ世間にまわり始めるはずである。
しかし、現状は全く逆で、
医療費や介護保険の保険料を上げないためにサービスを抑え込んでいて、
医師は疲弊し、介護分野に進出した企業は採算が取れず、介護の現場は低賃金に喘いでいる。
システムがガタガタなのだから、いざというときのことを考えれば、高齢者の不安は膨らむばかりである。
ともかく医療や福祉の分野に惜しみなく資金(国の富)を投入して、
社会に強靭なセーフティネットを張り巡らせることが重要。
介護現場の労働環境が改善されれば、多くの雇用を生み出し、消費を旺盛にする効果も期待できるはずだ。
…と、こう考えてくると、
医療問題や中小零細企業の経営、生活保護など、
バラバラに取材してきたことが相互に関連し、同じベクトルを指し示していることに気がつくのである。

だから、やるべきことははっきりしている、とぼくは思う。
だが、国のやることは、
後期高齢者医療制度だったり消費税の値上げだったり、消費を萎縮させるだけの“亡国”政策である。
政治家や官僚、あるいはブレーンとなる経済学者やエコノミストが、
自分の足で歩いておらず、モノゴトが起きている“現場”を知らなさすぎるのではないか。
いくら国庫のバランスシートを眺めていても、生きた経済の息遣いを読み取ることはできないはずである。
傲岸なようだが、ぼくは自分の足で現場を歩き、常に現場から考えている。
その結果として得たのが、
日本は否応なく「右肩下がりの時代」に入ったという冷徹な認識であり、
そのことを前提としないあらゆる議論はしょせん空論にすぎないという確信だった。
おりから民主党の党首選をめぐる報道・論評が喧しいが、
小沢だの反小沢だのコップの中の嵐みたいな話をしていないで、
おのれの「世界観(時代観)」を賭けた政策論争こそ戦わせるべきだと思う。
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