かつて、
そんな台詞を口走った、無責任極まりない総理大臣がいたものだが…。
今回は、それとは直接関係のない話である。
ぼくはいま、大阪で生活保護に関する取材をしている。
泊まっているのは、例によってのホテル・ライブアーテックス。
今回の部屋にもマッサージチェアがついている。
こんな居心地のいい部屋に泊まりながら生活保護の取材をするのは、
こんな居心地のいい部屋に泊まりながら生活保護の取材をするのは、
なんとなく申し訳なくも思えるのだが…。
ここ数日、
大阪市役所のケースワーカーや就労支援をするキャリア・カウンセラーに密着して、
生活保護受給者の個別事例を調べている。
で、思ったのが「人生いろいろ」…。
思わぬ人が生活保護を受けていたりする。
英語に堪能でフランス語、ドイツ語もできる元外資系企業の管理職。
51歳という年齢とアメリカへの留学を含むキャリアがかえって敬遠され、再就職ができないでいる。
この暑いのに背広にネクタイ姿で、アタッシュケースを抱えた38歳の元サラリーマンは、
ぼくなどより遙かにきちんとした服装で、
受け答えも丁寧で現役のビジネスマンにしか見えないが、生活保護を受給してもう一年になる。
ともかく仕事がなく、一度失職すると這い上がれないのだ。
求人開拓を担当している一人の述懐だが、彼我の違いは「紙一重」だというのがぼくの実感でもある。
通天閣の界隈には敷金礼金ゼロ(「ゼロゼロ物件」と呼ぶ)の安アパートが多く、
一棟に数十人の生活保護受給者がひしめいていたりする。
生活保護受給者の場合、家賃の上限は42000円(単身者)で、それにあわせたアパートがたくさんあるのだ。
もちろん、ぼくが泊まっているホテル(一泊7500円)より狭く、六畳一間くらいの間取りが多いようだ。
便所は共同で風呂もなく、共同シャワーがあるだけ、鍵は外から南京錠で閉めるというところもある。
28歳の息子が失職してから収入が途絶え、親子三人が六畳の部屋に蒲団を並べて寝ている家族もあった。
きのうはそうしたアパートで死んだ51歳の男性の部屋にケースワーカーが遺品の確認に行くのに同行した。
部屋には蒲団とよれよれの服、パチスロのコインが10枚ほどあり、
あとは僅かな現金が残っていたきりで、「遺品」と呼べるほどのものはない。
タバコの空き箱がたくさん置いてあるので怪訝に思ったが、どうやら小物入れとして使っていたらしい。
身寄りがあったとしても、遺骨を引き取ってくれる可能性は低そうだ。
生活保護の受給理由には、多くはないが「父子家庭」というのもある。
父親の違う幼い4人の子供を持つ女性と結婚して、
その女性が姿を消してしまったので、残された子どもたちを必死で育てているおっちゃんがいる。
まるで山本周五郎の小説の登場人物のようだ。
親との折り合いが悪く、実家を飛びだして10代でホームレスの生活に入った女性は、
7年後に父親の判らない子を妊娠して生活保護を受けることになった。
ケースワーカーが骨を折って蒲団や家具を買い揃えてやり、
ピンクのカーテンを吊るした六畳間はようやく若い女性の部屋らしくなった。
最小限の家具しかないなかで、夥しい数のマニキュア液が並んでいたのが妙に印象的だった。
派遣切りで失職して生活保護まで落ちてきた20代、30代は珍しくない。
高度経済成長の時代を「一人親方」として仕事を請け負いながら暮らしてきた建設労働者は、
建設の仕事そのものがほとんどなくなったいま、軒並み生活保護を受けるハメになった。
ともかく大阪はとてつもなく景気が悪く、一度落ちたら這い上がることは難しい。
たまに求人があっても、採用一人の枠に何十人、下手をすると百人を超える人が押し寄せる。
50代、つまりぼくの年頃になると、書類選考でハネられて、なかなか面接までたどり着かない。
能力もあり働く意思もある人が、採用試験に落ち続けるなかで意欲を失い、生活保護に“安住”していく…
右肩下がりの時代のなかで、やがて、全国が「大阪化」していくことだろう。
これが日本の近未来の姿だと思うと暗澹とせざるを得ない。
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