イーストウッドの美学はストイックなまでの「さりげなさ」にある。
これみよがしなところが全くない。
新作「ヒアアフター」でも開巻の津波のシーンは強烈な描写である。
SFXとしてもよくできているが、何より演出にパンチが効いている。
80歳の爺ィとは思えないほどの膂力である。
しかし、凡百の映画ならクライマックスに据えるほどのシーンであっても、
イーストウッドにとっては物語のほんの「さわり」にしか過ぎない。
「スペース・カウボーイ」以降のイーストウッドは
SFXを自家薬籠中のものとしているが、
最新のコンピューター技術が生み出す凄まじいまでの映像効果は
もはや売り物ではなく、
あくまで内面的なドラマを語りこむための表現の手段であるにとどまる。
そのあたり映画作家として孤高とも言うべき風格が漂う。
イーストウッドが演出力の真骨頂を見せるのは、
イタリア料理教室のちょっとユーモラスなスケッチであり、
そのなかで互いに惹かれあっていく
マット・デイモンとプライス・ダラス・ハワードの艶めかしい描写である。
目隠しをして食材の試食をするシーンの色っぽさときたら…
いや、爺さん、全く枯れていないんだわ(笑)。
そして、デイモンが持ってしまった特殊な力ゆえに二人に訪れる残酷な別離…。
これはサンフランシスコ、パリ、ロンドンを舞台とした三都物語で、
それぞれに関係なく進行する三つの物語が最後にひとつに結びあうのだが、
三つのストーリーのそれぞれにこうした細部の濃密さがある。
ストーリー的に云えば、あっと驚く展開があるわけでもなく寧ろ淡々としたものだが、
細部の彫りの深さと造形の確かさが観るものを酔わせる。
一見ハデなようでいてその実は地味な小品という映画は「売りにくい」だろうし、
ストーリーで映画を観るお子ちゃま観客には物足りないかもしれないが、
「死」と向きあって生きざるを得ない人間の宿命を内面的に描いた大人の映画である。
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