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「除染」と「移住」をめぐる混沌

放射性物質汚染対処特措法が1月から施行されるのに伴い、
各地で除染の動きが本格化してきた。
南相馬市では今月22日から大手ゼネコン26社を指定して
プロポーザルの募集を開始している。
以前に書いたが、
ぼくは一日に百軒の除染を行う計画は無謀だと思っている。
(11月21日「mission impossible」)
ところが、あるスーパーゼネコンの担当者に話を聞くと、
人繰りの目処はすでにたったという。
きちんとした会社で
除染の技術体系の公開にも応じているところなので、
よもや「安かろう悪かろう除染」をするとも思えないが、
本当にそんなことができるのか、半信半疑でいるところだ。

除染期間は2014年3月までの2年あまりで、
総事業費は(田畑や仮置場を除いて)400億円。
こう書くと如何にも「巨大公共事業」だが、
除染対象が4万6千棟あるので、
単純計算で一軒あたりにすると100万円を割り込む。
平米単価に直すと1500円だから潤沢な予算とはいえない。
隣の飯舘村は人口6000人、世帯数は1700ほどだが、
計画的避難区域で国が直轄して除染を行うこともあってか、
3000億円の除染計画を立てた(一軒1億円超?)。
飯舘村に隣接する南相馬の山あいの集落は
飯舘の中心部とそれほど放射線量が変わらないので、
計画的避難区域に指定されなかったのが気の毒に思える。

いろいろ見てきたが、
煎じ詰めれば除染は「ローテク」である。
時間と労力をふんだんにかけることでしか効果は望めない。
例えば屋根の除染は
高圧洗浄より紙タオルで丁寧に汚れを拭った方が効果的で、
環境に及ぼす負荷も少ない。
しかし、それには高圧洗浄の何倍もの人手がかかる。
限られた予算と時間で本当に効果的な除染ができるのか、
ぼくはどこかで「非現実的」だとの思いを拭えないでいる。

ところで、ネットの世界では、
「除染は非現実的なので避難すべき」との意見が目立つ。
除染が終わるまでのあいだ
住民の避難を認めるべきだというなら賛成だが、
「除染は無駄だからやめて、避難すべき」という人もいて、
この人はいったい何を考えているのだろうと怪訝に思う。
いうまでもなく、
「避難」とは一時的に難を避けることで、
元の生活環境に「戻る」ことを当然の前提にしている。
除染を行わずして、どうして「戻る」ことができるのか。
長期間にわたる、帰還の目処の立たない「避難」が、
どれだけ心身に辛いものであるのか、
仮設住宅を訪ねたことのある人間なら言うまでもないこと。
子供を避難させるために離散している家族も少なくない。
そうした不自然な暮らしをいつまで続ければいいのか。
避難生活が長引くリスクは、
放射能のそれに比べても必ずしも低いとは言えまい。

放射線量があるレベルより高い地域の住民は、
一時的な「避難」ではなく、
恒久的な「移住」を図るべきだと思う。
ところが、ここにもまた難しい問題が立ちはだかる。

チェルノブイリを視察してきた人から聞いた話である。
彼の地ではコミュニティをばらばらに移住を進めたが、
相互に分断された住民が
精神的な不安定に陥るなどの深刻な副作用が出て、
いまでは誤りだったと見做されているというのである。
つまり、移住は、
コミュニティ単位で行わなければならないということだ。
これは日本では難しい。
居住可能な土地の絶対量が少なく、
それぞれの土地に私有権が設定されている。
コミュニティ単位で移住できるほどの土地をまとめるのは、
至難の業であることは想像に難くない。
第一、水田さえあれば移住ができた、明治の昔ではない。
学校や公共施設、道路・水道などの社会的インフラ、
商店街や若い世代の雇用の場をどう作り出していくのか。
地域社会の健全性を保ったままで移住を進めようとすれば、
膨大な時間と巨額の投資が必要になるのは間違いない。
「除染が非現実的」であるのと同じように、
もしかしたらそれ以上に、「移住もまた非現実的」である。

こう書いたからといって、
除染や移住をやめるべきだとは思わない。
どんなに「非現実的」に思えても、進めるしかない。
それが原発を推進してきた
日本の国が背負った「原罪」だと思うからだ。
ぼくたちは将来にわたって
税金など多くの負担を背負わざるを得ないだろう。
しかし、ことが起こってしまった以上は避けられない。

最近、ぼくが以前に書いた
低線量被ばくのリスクに関するワーキンググループ」が、
「年間20mSvでの健康への危険は証明されない」と
細野原発事故担当大臣に報告をした。
そうした考えの専門家ばかりを集めたのだから
当然に予想された結果で、
児玉龍彦氏や木村真三氏の見解は無視された格好である。
除染目標として
10mSvだの5mSvという数字が入ってはいるが、
住民の不安を勘案しての政治的な配慮であり
「科学的な裏付けはない」と宣言したのに等しい。
この報告が、近い将来、
除染や移住の範囲を最低限に抑える
「免罪符」として使われることをぼくは危惧している。
「年間20mSvでは健康に危険はない」のなら、
「除染」も「移住」も
一部の地域を除けば本来必要がないことになるからだ。
そうなれば、
現在、避難している被災者が、
それほど放射線量が下がっていなくとも
除染の終了を理由に帰宅を迫られることになりかねない。
福島にいて放射能の不安におびえる被災者のことより、
会社存続や財政健全化を優先させたい東電・官僚たちが
考えそうなことだと思う。

繰り返すが「除染」や「移住」は簡単には進まない。
来年は原発事故の真の収束が
想像を絶して困難であることが明らかになる年になる。
その一方で、被災しなかった多くの日本国民は、
原発のみならず、東日本大震災の被災情報に倦むだろう。
3月11日の「一年」の節目を過ぎると、
マスコミ的には、
「震災」や「原発」が急速に風化するのは間違いない。
被災した住民のみなさんはもちろん、
現場に張りついていくつもりのぼく(たち)にとっても、
来年は大変な年になりそうである。
政府や東電が、
福島の人たちにリスクを押し付けたままで
無責任な「収束」を図らないよう見つめ続けていきたい。

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