福島第一原発から半径20kmの範囲にあり、
原則として立ち入りが禁止されてきた警戒区域。
南相馬市については、
4月16日をもって解除され、
推定被ばく量が年間50mSvを超える「帰還困難区域」、
20〜50mSvの「居住制限区域」、
20mSv以下の「避難指示解除準備区域」に再編された。
先日、環境省による除染計画の説明会が行なわれ、
9月にも線量の高い地域を優先に除染が始まる予定だ。
居住制限区域に家を持つ人たちが
どういう思いで「除染」を迎えようとしているのか、
それが知りたくて車を走らせた。
人に誰も会わないまま、浪江町との境界線に到着。
浪江町は今も警戒区域に指定されていて立ち入りできない。
境界の向こうは「希望の牧場」で、
牧場主の吉沢さんにお会いしたことはないが、
その言動はネットを通して知っていた。
飼育していた牛を殺処分したり餓死させないようにと、
懸命の努力を払っている方だ。
餓死した牛のものだろうか、頭骨が飾られている。
原発事故がまだまだ収束していないという、
現地の人たちにとって
いまさら云うまでもない深刻な現実を、
誰に向かってだろうか、無言で訴えかけている。
境界線からゆっくりと引き返していく。
それにしても人と出会わない。
除染のための事前調査に入っている
大成建設の関係者とすれ違うばかりだ。
同じ旧警戒区域でも、
海岸側の地域(避難指示解除準備区域)であれば
多くの人が自宅の片づけに戻ってきていたりするが、
山あいの居住制限区域には殆ど戻っている形跡がない。
線量がいまだに高く、
(国が設置した線量計は2.362μSv/hを表示していた)
一年以上放置されていた田畑は荒れ放題なので、
例え除染を行なったとしても
しばらくは戻れないという諦めがあるのかもしれない。
居住制限区域で除染が始まれば、
除染をめぐる国の矛盾が顕在化しそうだ。
今年1月施行された「放射性物質汚染対処特措法」では、
放射線量を2年で半分にするという目標が明示されている。
にも拘わらず、
最近の政府の説明を聞くと
年間20mSv以下を除染の目安にすることが強調されている。
(このブログで何度か書いてきたように、
年間20mSvの安全性を強調しているのとセットだ。)
居住制限区域は推定年間放射線量が20〜50mSv、
極端なことを云えば、
20mSvを19mSvにまで落とすことができれば、
除染目標は達成されたことになる。
ところが、
同じ南相馬市内の旧警戒区域を除く地域でも、
やはり9月から本格除染が始まろうとしているのだ。
旧警戒区域以外で20mSvを超えるところはほとんどない。
ぼくがこの一年取材を続けてきたのは、
年間5〜15mSv前後の地域に暮らしながら、
放射能への不安にさいなまれ、除染を渇望する人たちだ。
除染が始まれば、
こうした地域の放射線量は当然さらに低くなる。
つまり、
同じ南相馬市内で、
年間20mSv以下をスタートラインとする除染と、
年間20mSv以下をゴールとする除染が同時進行するわけだ。
絵に描いたようなダブル・スタンダードであり、
居住制限区域に家を持つ人たちにとっては、
年間20mSvを下回ったから安心して戻れと言われても、
とうてい納得はできないだろうことが予想される。
取材すればするほど、
この問題は終わらないな、という思いを強くする。
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