きのう釧路に帰ってきた。
7月以来だから3ヶ月ぶりということになる。
暗くなってから着いたのでよく判らなかったが、
今朝起きて確かめると、
春に植えたモミジが半ば色づいていた。
どうやら日当たりのいい部分から染まるようだ。
風が強いがよく晴れた日で、
どこにも出かけず我が家でのんびり過ごすことにした。
釧路の家にはテレビがなく、
(使えなくなったアナログをそのまま置いてある)
周辺を車が通ることも少ないので静かなものだ。
午前中は部屋で福島に関する文章を書いた。
先日放送した「除染 そして…」について
あるメーリングリストで宣伝しておいたところ、
感想を書いて下さった方がいて、
除染を重視することへの疑義が呈されていた。
そこで、その方への返事のかたちで、
ぼくの「福島」に対する考えをまとめたのである。
考え考え推敲しながら書いたので時間がかかったが、
放送が一段落したこの時点で
現状認識をまとめておくことには意味がある。
自分なりの整理が出来たので、以下に掲げておく。
A様
番組を見てくださってありがとうございます。
「除染」への疑問、うけたまわりました。
番組を作る過程で一番考えてきた部分でもあり、
反論ではなく、
作り手としての考え方を書かせていただきます。
福島を考えるための議論の材料にはなるのではないかと思います。
福島に通い続けてよくわかったのは、
人々の“父祖の土地”に対する思いの強さです。
先祖尊崇の念厚く、
血縁地縁の絆の強さは
根無し草の転勤族である
ぼくなどには考えられないものでした。
ふと気がついて試しに「何代目ですか?」と訊くようにしたところ、
三十代、四十代の方が「八代目です」とか即答するのに驚かされました。
ぼくなど考えたこともないし、どこから数えればいいのか、想像もつきません。
ぼくの郷里の松江も古い土地柄ですが、
ここまでではありません。
番組の主人公は冒頭部分で「この家を守りたかった」と話していますが、
この言葉の背景には
こうした福島の精神風土があります。
多くの人たちが、今後とも「先祖の墓のある場所」で暮らし続けたい、
あるいは現在は避難しているにせよ
いずれは帰りたいと考えています。
南相馬市の旧緊急時避難準備区域では市外に避難している人には
一人月10万円の慰謝料が東電から出ますが、
それでも半数以上の人が残っている背景には、生活面の不安もあるにせよ、
こうした福島の人たちの
強い郷土意識があるのを感じています。
では、
放射能に汚染された
福島で暮らすのが現実的でないかといえば、
双葉や大熊、浪江などを除けば決してそうではありません。
東京では意外と知られていないかもしれませんが、
現在、福島の子どもたちの内部被ばくはほとんどゼロです。
漫然と暮らしていて被ばくしなかったのではなく、
砂ぼこりのあるところでは外で遊ばせない、子どもたちには地元の食材は食べさせないなど、
親たちの神経質とも言える努力の結果、
被ばくを食い止めているのです。
こうした思いをしながら暮らしている人たちを支える手段、
少しでも安心してもらうための手だては「除染」しかありません。
番組で描いたように、
除染には様々な困難があります。
Aさんが仰有るように「除染後にまた線量が上がる」
という現象もすでに頻発しています。
主に側溝などで起きていることで、
除染していない地域から放射性物質が流れ込み、再び溜まってしまうのです。
それは再除染、再々除染の必要性を示唆しており、福島市などではすでに「十年戦争」を覚悟し、
国に費用負担を求めています。
(国はいまだそれに答えてはいません。)
ただ、放射性物質は自己増殖するわけではありません。
除染によって環境から放射性物質を取り除けば、取り除いた分だけ
放射性物質の絶対量が減るのは事実です。
除染は気が遠くなるような営為ですが、不可能ではないのです。
何とかやり遂げるのが国や東電、さらにいえば
原発を許してきた
私たちの社会の責務だと考えています。
国は「専門家」の答申を得て、
年間20ミリシーベルト以下の放射線には
それほどの危険はないとしています。
取材を続けていると、
除染にこれ以上費用をかけたくないというホンネが見え隠れします。
東電の救済策であり、経済界からの要請によるものなのでしょう、
「福島は安全」だというキャンペーンが始まっています。
それは福島の人たちを現在の不安のなかに放置しようとする、
一種の棄民政策だと考えています。ここに起因して、
もう一つの矛盾が生じています。
事故以来一貫して行われた国による「安全」の強調は、
その反動として「危険」の行き過ぎた強調を生み、
事態はあたかも「安全」と「危険」の
二元論の様相を呈しているのです。
その一環として、福島の人たちの一部に
「除染」を否定しようとする動きがあります。
原発事故による放射能汚染が中通り、
福島市や郡山市などの都市部に及んだとき、
国や県は
影響がこれ以上拡大するのを懸念したのでしょう、
南相馬など浜通りでは保証した住民の避難の権利を認めませんでした。
その時に使われたのが、「除染するので避難の必要はない」という論法です。
本来なら「除染も避難も進めるべき」だったはずが、
「除染か、避難か」の
二者択一にすり替えられたのです。
そのことによって、矛盾しないはずの「除染」と「避難」は
あたかも対立する概念のように
受け止められるようになりました。
避難を求める住民の一部は、除染をことさらに敵視し、
その可能性を否定することを
避難が必要だとする論拠にしています。
そして、そのまたごく一部ですが、福島の放射能汚染の危険性を過大に訴え、
「福島は人が住むところではない」などと主張して、
(無責任に拡散する「ジャーナリスト」もいて)
福島で暮らしている人たちの憤激を買っています。
住民のあいだに分断と対立が持ち込まれ、
拡大しているのです。
福島に通い続けてきたぼくはいま、
「危険」と「安全」の二元論から零れ落ちる、
いわば狭間の部分に
福島の「現実」があると考えています。
それは、一言でいってしまえば「不安」です。国や経済界、「専門家」が主張する「安全」と
(主に東京発で)声高に叫ばれる「危険」の狭間で、
多くの福島の人たちが
「不安」のなかに取り残されています。
「不安」だけにリアリティがあり、それでも福島で暮らし続けたい人々は、
例えばイグネを伐採するなど
「自衛」に追い込まれています。
その現実をきちんと伝えようと考え、
敢えて「除染」という隘路をテーマに選びました。Aさん、
長々書き連ねて参りましたが、
以上がぼくの現状認識であり問題意識です。
実は、
「除染」と併行して
もう一本の番組の撮影を続けており、
それは全村避難とされた飯舘村の人たちの相馬市にある仮設住宅での暮らしを
一年にわたって記録したものです。
11月11日の午前10時から
総合テレビで全国放送されますので、
(「明日へ 第6仮設住宅の人々」)よろしければ
こちらも御覧いただけますようお願い申し上げます。
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