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仕事柄、物事の暗い側面を見つめることが多い。
きのう阪神淡路大震災から18年を迎えた神戸。
多くの観光客で賑わう街に
いま震災の傷跡を見ることはない。
しかし、人知れず、復興の“後遺症”に苦しむ人たちがいる。
「復興災害」という言葉さえ囁かれるほどだ。

神戸市でも、震災の被害が甚大だった長田区。
新長田駅の駅前には
復興のシンボルのように巨大な鉄人28号が立つ。


この街では震災後、
神戸市による再開発計画が強力に推し進められた。
44棟もの商業ビル、高層住宅を建設し、
長田地区を
神戸の副都心として再生させようというものだった。
震災で店を失った地元商店街の人たちは、
長田で商売を続けようとすれば
この再開発計画に乗るしか選択肢はなかった。

再開発は
被災した土地・建物を市が買い取り、
ビルを建設して商店主たちに売り戻す方式で行われた。
賃貸は認められず、
商店主たちは
新しくできた再開発ビルの中にスペースを買った。
もともと土地や建物を借りて商売をしていた人も多く、
購入費や内装などで
多額の借金を抱えた人も少なくなかった。


写真は震災から7年後にオープンした
アスタくにづか1番館。
(現在は6番館まで作られている)
共用スペースを広くとったこともあって、
再開発ビルの管理費は高額となり、
また固定資産税も高くなった。
ふれこみ通り客が増えればそれでよかったのだが、
現実には商店街を訪れる客は減る一方だった。
人口が増えている神戸市のなかで、
長田区だけは震災後、人口減が止まらない。
被災して長田を離れた人が戻って来ず、
地場産業のケミカルシューズが壊滅したのも大きい。
真新しいビルが次々に建つにも拘らず
商店街はさびれる一方で、
商店の経営は次第に苦しくなっていった。


再開発地域の中心部にある1番館にも
シャッターを閉めた店が目立つ。

鳴り物入りでオープンした再開発ビルの失速は
神戸市にとっても大きな誤算だった。
ビル化によって増えた商業スペースを売って
事業費の回収を図る計画だったのが、
アスタ1〜6番館の半分以上、
金額にして220億円分が売れ残ったのである。


一階ですらシャッター街化しているくらいだから、
二階や地下のスペースは目も当てられない。
(写真はアスタくにづか2番館2F)
大量の売れ残りを抱えた神戸市は、
当初は認めなかった賃貸に応じ始め、
なんとか空きを埋めようと賃料を下げていった。
事実上のダンピングに踏み切ったのである。
こうした神戸市の方針転換は
地元の商店主たちをますます追い詰めることになった。
当初高い金額でスペースを買った人たちにとって、
安値での賃貸は不公平なばかりではない。
資産価値の暴落を意味していたのである。

商売に見切りをつけて廃業しようにも、
店舗スペースの買い手がつかない。
タダ同然の安値で借りられるところを
わざわざ金を出して買うはずがないからだ。
震災から18年経って、
当時45歳の働き盛りだった人も還暦を超えた。
そろそろリタイアを考えようにも、
スペースの買い手が現われなければ
管理費と固定資産税を自分で払い続けなければならない。
15坪ほどの小さな店で月額7万円前後、
つまり、国民年金が飛んでしまう金額である。
そのうえ、多くの人は開業資金を借金で賄っている。
商売をやめて収入が途絶えれば、
維持費の負担と負債の返済は不可能である。
商店主たちの多くが廃業の道さえ閉ざされて、
いよいよどうしようもなくなって破産するまで
先行きの見えない商売を続けるしかない。
(すでに破産したところが現われ始めている。)
震災前から長田に暮らし、
長田に残ることを選んだ人たちを襲った苦境、
「復興災害」という言葉が生まれる所以である。

驚くべきことには、
新長田駅前再開発計画は
18年たったいまも「終わっていない」のである。
神戸市は残り何棟かのビルを建てる計画を放棄していない。
その一方で、
地域の活性化を図る
「にぎわいづくり」プロジェクトを
6億円の資金を投じて行なうことを決定した。
残念だが、
官製プロジェクトによって
地場産業が壊滅したこの街に
「にぎわい」を取り戻せるとはとても思えない。
いま必要なことは、
失敗した計画にさらに資金を注ぎ込むことではなく、
「復興」の失敗を認め、
泥沼に陥った関係者の救済を図ることではないのか。

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