きのうは釧網線に乗って川湯温泉へと向かった。
川湯は、言わずと知れた、北海道を代表する名湯である。
しかし、
団体客中心から
カップルなどの個人客へとシフトする
時代の流れに乗り損ねたようなところがあって、
最近では少々影が薄い存在になっている。
若い頃に何度か仕事で訪れているので、
強酸性で石鹸が使えない湯は忘れられない印象を残しているが、
泊まるのは今回が30年ぶりくらいになるのではないか。
宿は「きたふくろう」というところをとった。
全く記憶にない名前で、
宿の名称を変えたか、
あるいは経営自体が変わってしまったかしたのだろう。
連休のさなかに
二食付いて二人で25200円という宿泊費はお値打ちである。
宿に荷物を置くとすぐに、
硫黄山に向かう遊歩道を歩いてみる。
硫黄山まで直線距離にしておよそ2km、
ちょうどいい散歩コースである。
このあたりの土は火山活動の影響で強い酸性であり、
育つ植物は
アカエゾマツ、シラカバ、ハイマツなど限られている。
6月の下旬になると
高山植物のイソツツジが小さな白い花を咲かせ、
―面のお花畑になるが、
春まだ浅いこの季節は(まだ雪が残っていた…)、
殺風景というか、なんとも荒涼とした風景である。
もっとも、
ぼくは釧根のこうした風土がしっくりきていて、
荒涼たる風景に奇妙な安らぎを感じていたりするのだが。
硫黄山はもともとアイヌ語でアトサヌプリ、
つまり「裸の山」と呼ばれていた。
その名の通り、強酸性の土には植物は生えず、
岩肌が剥き出しになっている。
あちらこちらから火山性のガスが噴出し、
周辺には強い硫黄臭が漂う。
川湯温泉の湯は、
この硫黄山の地熱で
浅いところにある地下水が暖められたものだ。
だからやっぱり硫黄の臭いがする。
酸性が強いため、
お湯の循環に使うポンプなどの機械が傷んで使えず、
そのため、ここではすべての旅館の風呂が源泉かけ流しである。
「きたふくろう」の風呂も加水すらしていない源泉100%で、
湯につかると首筋あたりがピリピリするほど強烈である。
殺菌力が強いので皮膚病にてき面の効果があるほか、
動脈硬化や婦人疾患にも効くそうだ。
湯舟の脇や宿のあちこちに、
名前の通り、木彫りのフクロウが飾られている。
それほど熱い湯というわけではないが、
しばらく入っていると身体の奥底からほかほかと暖まってくる。
湯冷めの心配は全くない。
泉質で云うなら、
草津(群馬)や同じ東北海道の羅臼と並んで
ぼくのOne of The Bestである。
風呂から上がると
エレベーターの横に貼ったポスターが目に飛びこんできた。
川湯から車で25分ほどの古丹地区をベースに活動する
アイヌ詞曲舞踊団「モシリ」のライブ開催を告げるものだ。
4/28~11/4の毎晩、
一人でも観客がいれば
小さな手作りのコンサートを続けているのである。
「モシリ」とは因縁浅からぬ関係である。
1992年に「ひるどき日本列島」という番組で
彼らのコンサートを阿寒湖畔から生中継したときには、
爆発的な反響を呼んだ。
以来、何本もの番組に出演してもらっており、
そのたびにリーダー格のアトゥイと怒鳴りあいをした。
*正確には、
「トゥ」は「ト」に半濁音「°」をつけて表現する。
アトゥイとは、アイヌ語で「海」という意味である。
十年ほど前に「こころの時代」という番組に出てもらって以来、
最近は疎遠になっている。
理由は、バスの路線が廃止になって、
運転ができないぼくは
古丹に行きたくても行けなくなってしまったからである。
ポスターが貼ってあるということは送迎があるのではないか、
そう考えてフロントに問い合わせてみると案の上だった。
入浴してもうメイクを落としてしまったからと
渋るかみさんを説き伏せて予約を入れてもらった。
約束の20時10分に迎えに現われたのは御大のアトゥイで、
今夜の客はぼくたち夫婦の二人だけだという。
こうなると、客の方もちょっとプレッシャーがかかる。
向こうも、
よく知った顔が目の前にでんと控えていたのでは
さぞやりにくいだろうと同情する。
アイヌ詞曲舞踊団「モシリ」とは、
アイヌ民族の伝統的旋律と精神をベースに、
シンセサイザーなどの
現代楽器も駆使して音楽を奏でるグループだ。
作曲家であり、舞台演出家でもあるアトゥイを中心に、
彼の音楽や底に流れる哲学に共鳴する仲間たち、
そしてアトゥイの12人いる子どもたち(!)の何人かが
メンバーとして参加している。
メンバーは常に流動的で、アメーバのような不定型が特徴。
この季節のライブは小編成のカルテットで、
リードボーカルのシノッチャキ房恵、
(ぼくらはいつも「姉御」と呼んでいた)
ボーカルと語り、パーカッションを引き受けるウパシ千珠、
シンセのニンカリ和恵、
それにこの日は
アトゥイの三女・利伊が踊り子として加わっていた。
アトゥイ自身が演奏者として舞台に上がる日もあるらしい。
(彼は知る人ぞ知るギターの名手である。)
お互いに妙に緊張したかもしれない40分ほどのライブを終えて、
久しぶりだというので
アトゥイや房恵さんとしばし酒を汲み交わした。
67歳になったアトゥイには、
本人が知っている限り(という表現がおかしい)3人の孫ができた。
うち地元にいる二人は舞台に上がることもあるという。
去年は、
勉強のために学校を休ませて(というのもユニークな発想だ)、
東北の被災地を訪ね歩いた。
姉御はぼくと同い齢だが、
声の張りが全く衰えていないことに驚く。
聞けば、ボイス・トレーニングを怠らないという。
病気の神様に嫌われているらしく病気が近づいてこない、と笑う。
今年は東日本大震災の犠牲者への鎮魂をテーマに、
11月まで毎晩ライブを続ける予定だ。
屈斜路湖畔にある
古丹地区(コタンとはアイヌ語で「集落」の請)の
「丸木舟」というドライブインでやっているので、
お近くに旅をなさるおりには是非お立ち寄りください。
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