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神戸「三把刀」と妻のルーツ

新長田再開発問題の取材を続けているが、
9月21日に「ETV特集」での全国放送が決まった。
放送時間が59分と長いので、
追加ロケのため、きのうから神戸に来ている。


事態の「正常化」をめぐって
市当局と区分所有者の話し合いが始まっていて、
順調にいけば、
放送までに解決の糸口が見つかるかも知れない。
市の言葉でいうと「正常化」だが、
区分所有者サイドからいえば「問題解決」に他ならない。
真の「解決」までまだ先は長いだろうが、
(生活者にとって)いい方向に動くことを祈りながら
取材にあたっている。


さて、きのうは、
妻と妹、上海に住む妻の叔母の一家5人が神戸に来て、
南京町(の焼肉屋)で一緒に食事をした。
上海から来た5人は日本語ができないので、
中国語が解らないぼくにとっては
何が話題になっているやら、
ちんぷんかんぷんの会食だった。

実はぼくと(正確にいえば、妻と)神戸のあいだには、
浅からぬ縁(えにし)がある。
妻の父親(故人)が他ならぬ神戸の生まれなのである。
妻が生まれる前に亡くなったという祖父は、
昭和の初め、神戸に居を構えていた華僑だった。

華僑のあいだには「三把刀」という言葉がある。
料理人が使う包丁、
仕立て職人の裁ち鋏、
理容師の剃刀の三つの「刀」をいう。
海を渡った中国人たちは
この「三把刀」を武器に世界中で生き抜いてきたわけだ。
明治以来、多くの中国人が住み着いてきた神戸にも、
中華料理店、仕立屋、中国人の床屋が多くあったらしい。
仕立屋についていえば、
神戸には「上海テーラー」という言葉が残っているほど
上海(と近郊)出身者が多くを占めていたという。
妻の祖父も戦前、弟とともに神戸で仕立屋を開いていた。
子どもが4人、神戸で生まれ、
その末っ子が今回来日した72才の叔母である。
祖父は戦争が始まったので上海に引き揚げたと聞いている。
であれば、
叔母は生まれてまもなく、
まだ赤ん坊のときに中国に帰ったことになるので、
当然、日本についての記憶は何もない。
生まれ故郷の神戸の街を見るのは、
事実上、今回が初めてということになる。

3年前、叔父が来日したとき、
大阪で仕事(生活保護問題の取材)をしていたぼくは、
日曜日を利用して神戸にきて、華僑の歴史を調べた。
なにせ戦争前の話だから
妻の祖父を知る人はもはやなく、
どこに住んでいたのかを特定することはできなかったが、
「上海テーラー」の多くが
元町駅に近いトアロードに店を構えていたことが判った。
叔父の記憶は「家の前から山が見えた」というもので、
神戸ならどこでも山は見えるので
頼りない手がかりだなあ…と思っていたのだが、
実際、トアロードの突き当たりには、
ど〜んという感じで六甲山系の山が見えている。
叔父の遠い記憶とも一致する風景であったようだ。
そんなわけで今回もトアロードに案内した。
中国語ができないぼくは
叔母の感慨を訊くことはできなかったが、
72才で生まれ故郷を初めてみた思いは
如何ばかりであっただろう。
息子(つまり妻の従兄)の家族は思い入れがないので、
専ら買物に精を出していたようである。

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