8月21日は「英雄の日」。英雄とは1983年に当時のマルコス大統領の独裁政権下で、亡命先のアメリカからの帰国直後にマニラ国際空港(その後ニノイ・アキノ国際空港に改名)で射殺されたニノイこと、ベニグノ・アキノ上院議員のこと。この事件が発端で無血革命が起き、マルコスは国外へ亡命し、アキノ氏の妻コラソンが次期大統領に就任しました。以来、アキノ氏が殺された8月21日はフィリピンの国民の祝日。息子の学校もお休みでした。
フィリピンでは、英雄と称えられ死後も人々に慕われるには、非業の死を遂げることが必須条件のようです。この感覚は日本人にも共通するところが多い。例えば源義経。一ノ谷や壇ノ浦で平家に圧倒的な勝利を収め軍人としては天才でした。しかし政治がまるで理解できず、それが原因で兄の頼朝に疎まれて最後は味方に殺されてしまいます。のちに「判官贔屓」という言葉ができるほどの国民的アイドルになりますが、後世に与えた影響の大きさは、どう考えても頼朝が上。
その他にも、日本史でいうと織田信長、赤穂浪士、坂本龍馬...その最期が悲劇的であればあるほど、人気も高い。フィリピンの場合も同様で、独立運動の思想的リーダー、ホセ・リサールは35歳でスペイン軍により銃殺され(吉田松陰?)、独立の指導者、アンドレス・ボニファシオは33歳で政敵アギナルドにより処刑されています(西郷隆盛?)。
その系列に並ぶのがアキノ氏。現在流通している高額紙幣の500ペソ札に肖像が使われているのも当然。とは言っても、もしアキノ氏が死なずに大統領になっていたら、その評価はどうだったでしょう? 最初は熱烈な国民の支持を受けたであろうことは容易に想像できますが、今に至るも改善されない貧困問題には手を焼いたと思います。これは誰が大統領でも難しい。
アキノ氏はフィリピンに帰れば殺されることを十分予期していたらしく、周囲の人たちにもそう語ったとのこと。そのタイミングで死ななければ英雄になれないと、悟っていたのかも知れませんね。
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