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昔の日本を思い出す 〜セーブ・モア開店〜

前回の投稿に引き続き、シライ市内にオープンしたスーパーマーケット、セーブ・モアのお話。開店翌日の金曜日の午後、家内と連れ立って行って来ました。

隣も向かいも学校という立地なので、昼食後すぐの時間帯は子供にお弁当を届けに来たり、自宅で食事する子供を送ってきたりしたお母さんたちでいっぱい。(フィリピンの小学校では給食がない)そしてなぜか高校生が制服のまま大挙して押しかけてる。君ら、授業はどないしたんや?


それにしても、この熱気。なんとなく見覚えがある光景だと思ったら、駅前再開発が華やかなりし頃の1978年(昭和53年)、実家の尼崎市内の阪急塚口駅前に、ダイエーを主体とした複合商業施設「塚口さんさんタウン」ができた時にそっくり。当時中学生だった私は、ちょうど今セーブ・モア内の新設ゲームセンターに集まっている子供たちと同じぐらい年齢。あの頃はインベーダーゲームが流行ってたなぁ。

さて、肝心の品揃え。期待していた日本からの輸入食品はバコロドほどではありませんでしたが、それでも味噌や豆腐を置いているのは嬉しい。野菜や果物は公設市場より高いけれど品質は揃っていてラップに包まれた様子は日本のスーパーみたい。肉と魚は清潔な売り場で種類も豊富。これは元からある肉屋さんが大打撃...と思ってたら、その肉屋の顔なじみの店員さんたちが二人、連れ立って買い物に来てたのには笑ってしまいました。子供連れで、敵情視察には全然見えない。




驚いたのは、まるで空港にでもあるような両替所ができたこと。今までも市内には両替所はありましたが、パチンコ屋の景品引換え所みたいで、替えられるのは米ドルなどのみ。日本円の取り扱いは無し。日本人目線的には、シライ史上初の快挙ですね。



これで過当競争の時代に突入したシライ市内の流通業界。昔の日本の場合、元からあった商店街や個人経営の八百屋、精肉店が軒並み閉店に追い込まれ、場所によっては未だに「シャッター街」のまま放置されています。しかしフィリピンでは、セイブ・モアに来る客層とはまったく別に、月収1万円にも満たない世帯がたくさんあるので、公設市場や道端の露店がいきなり姿を消すとも思えません。フィリピン版のバブル経済は、この先どうなっていくのでしょう?


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