昨日の松本人志さんについての記事で、前世は秀吉の御伽衆をされていたのではないかと述べました
それでコメントで匿名さんからひょっとして曾呂利新左衛門という方ではないかとご指摘がありました
以下はそのコメントです
まっちゃんはもしかしたら曾呂利新左衛門では?秀吉のお伽衆で落語家の始祖と言われる忍者だったようです。はっきりとは断言できませんが、拝見した感じはその可能性が高いように思われます
鞘作りの名人でもあり刀が「そろり」と入るところから名前(通称)がついたようです。
そういえばまっちゃんは「さや侍」という映画を出しましたよね。
曾呂利新左衛門さんは堺の鞘師(さやし)で、本姓は杉本、名は甚右衛門(あるいは伴内)と伝えられます
話上手なことから豊臣秀吉の伽衆(咄(はなし)衆)にくわえられ、頓知頓才で愛されたといわれます
私は存じ上げなかったですが一休さんと双璧をなす頓知の持ち主だったようです
彼については以下のようなお話があるそうです
秀吉が大切にしていた松が枯れてしまったときのこと、がっかりした秀吉のために、曾呂利はこんな歌を詠んだ。
「御秘蔵の常盤の松は枯れにけり、おのが齢(よわい)を君にゆずりて」。
「松が秀吉に長寿を譲った」と、曾呂利は詠んだのである。
秀吉は感心して、曾呂利に褒美をとらせることにする。
曾呂利は「殿下のお耳を毎日嗅がせていただきとうとうございます」と答えたのである。
秀吉は奇妙に思いながらもそれを許す。
あくる日から、曾呂利は諸大名が秀吉の前に出仕する、きまって秀吉の耳を嗅ぐようになった。
諸大名にはこれが、何か耳打ちしているように見えたのだ。
その結果、曾呂利のもとには、諸大名からの贈り物が山のように届くようになったのだ。
秀吉はそれを聞いて「なるほど」と膝を打ったといわれている。
また、次のような話も伝わる。
ある日、秀吉が「世間では、俺が猿に似ている噂しているそうだな」と近侍の者達に言った。
皆は答えに困っていると、曾呂利が進み出てこう言ったというのだ。
「そうではありません。殿下が猿に似ているのではなく、猿が殿下に似ているのです。猿でさえ、天下人となった殿下を見習おうと務めているのです」この曾呂利の機智で、その場は一気に笑いに包まれたというのである。
実際の話しかは疑わしいとされていますが、そうした話が作られるくらいのモデルであった人物ということですね
また、にこさんからのお話しでは、松本さんの好きな歴史上の人物の一人は、黒田官兵衛だそうで、彼は大河ドラマにもなりましたが、秀吉を天下取りに導いた軍師ですね
過去世でも交流がおありだったのかもしれません
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