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島唄の宮沢和史さん前世と歌の真意 THE BOOM


THE BOOMの名曲『島唄』をうたわれた宮沢和史さんについて書いてみます

この歌はご存知の方が多いでしょう。どこか悲しみをたたえていて人の心をひきつけるものがあります


なぜ、この歌は多くの人を魅了するものとなったのか?そして県外の方である宮沢さんがこの歌を作りうたった意味は何だったのか?

島歌の歌詞の真意、本当の意味について、ネットで載せられていましたので、以下に紹介いたします


でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
(1945年春、でいごの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された。)

でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
(でいごの花が咲き誇る初夏になっても、米軍の沖縄攻撃は続いている。)

繰り返す 哀しみは 島わたる 波のよう
(多数の民間人が繰り返し犠牲となり、人々の哀しみは、島中に波のように広がった。)

ウージの森で あなたと出会い
(サトウキビ畑で、愛するあなたと出会った。)

ウージの下で 千代にさよなら
(サトウキビ畑の下の洞窟で、愛するあなたと永遠の別れとなった。)

島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
(島唄よ、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
(でいごの花が散る頃、沖縄戦での大規模な戦闘は終わり、平穏が訪れた。)

ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
(平和な時代のささやかな幸せは、波間の泡の様に、はかなく消えてしまった。)

ウージの森で 歌った友よ
(サトウキビ畑で、一緒に歌を歌った友よ。)

ウージの下で 八千代に別れ
(サトウキビ畑の下の洞窟で、永遠の別れとなった。)

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
(島唄よ、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)

海よ 宇宙よ 神よ 命よ
(海よ 宇宙よ 神よ 命よ 万物に乞い願う。)

このまま永遠に夕凪を
(このまま永遠に穏やかな平和が続いてほしい。)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
(島唄は、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の愛を
(島唄は、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)

島唄の本当の意味は、沖縄戦の悲しみをうたったものだったのですね

だからこそ、多くの人々を引きつけてやまないのでしょう

作詞作曲された宮沢さんは、山梨県のご出身ですが、このような沖縄の唄を作られた意味について感じたことを述べてみます

宮沢さんご自身が、実は前世で沖縄戦を戦われたように感じられます

ただ沖縄出身者ではなくて、兵士として沖縄戦に来られたようです

まだ若いお姿で、沖縄の三味線をひいて、仲間たちを和ませている風景が浮びます

残念ながら沖縄戦で洞窟の中で亡くなられてしまったようですが、そうした経験から、島唄へと繋がったのでしょう

そのようなご自身の悲しい経験があるからこそ、島唄に魂が込められ、多くの人々の心を掴んでいったのだと思います

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