この「革命軍」、実際には短刀や槍しか持っていなかったけれど、ヤシの木で作った偽ライフルや、筵を巻いて黒く着色した偽大砲でスペイン軍を欺いて降伏させたそうです。当時はマニラのあるルソン島、お隣のパナイ島で連戦連敗状態だったスペイン。どうやらすっかり士気が落ちていたので、こんな子供だましに引っかかったらしい。
家内の実家のすぐ近くには、この偽大砲エピソードをモチーフにしたと思われるモニュメントがあります。建てられたのは割と最近で1990年。モルタル製でペンキ塗ったものなのでちょっと安っぽいですが、逸話の内容にはある意味ピッタリ。でもどうせなら100周年の1998年にすればいいのにと思ってしまった。
ブログの投稿を書くに当たって、ネグロス島生まれの家内に色々聞いたみたところ、意外にも郷土の歴史をあんまり知らない。私などは小学校の授業で兵庫県尼崎市の歴史を習って、今でもかなり詳しく覚えてますけどねぇ。と言うことで、ここから先はウィッキペディアの記述が頼り。
結局ネグロス共和国はほんの1年間も保たずアメリカに占領されてしまい、その後の日本の軍政があったりして、第二次大戦が終結してフィリピンが独立した後は国内の州の位置に甘んじています。しかしやっぱり短命だったとは言え、故郷が独立国だった事実は誇りなんでしょう。フィリピン全体の独立記念日と同様か、それより盛大なぐらいのお祭り騒ぎ。移動遊園地は来るし、当日は市役所前で派手に花火は上がる。
モニュメントがある通りの名前もシンコ・デ・ノベンブレ
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