リオデジャネイロ五輪のレスリング女子58キロ級で金メダルを獲得し、国民栄誉賞を授与されることが決まった伊調馨(32)=ALSOK=が13日、東京
都内のホテルで記者会見し、「自分自身の中では信じられない気持ちが大きいですが、これまで私を支えてくださった方々に感謝の気持ちでいっぱい。今後自分
の人生を、これまで以上にもっと考えなければならないないと身の引き締まる思いでいっぱいです」と心境を語った。
五輪の個人種目で4連覇を果たしたのは、女子では伊調が世界で初めて。この実績が評価され、堂々の受賞となった。会見での主な一問一答は次の通り。
五輪の個人種目で4連覇を果たしたのは、女子では伊調が世界で初めて。この実績が評価され、堂々の受賞となった。会見での主な一問一答は次の通り。
-受賞は誰に一番伝えたいか。盾とともに記念品が贈られる。欲しいものは?
「試合の時に最後は(2年前に亡くなった)母が助けてくれたと言った。母に伝えたい気持ちもあるが、母はきっと生きている人間に感謝しろと言いそうな気 がしている。これまで支えてくださった関係者の皆さま、練習でお世話になった警視庁第6機動隊の皆さまは横断幕をつくってくださったり、温かく迎えてくだ さった。一番伝えたい方々かなと思います。欲しい物は、うーん…。五輪に4度出場させていただいて、これからまた世界に出て行く機会が増えていくと思うの で、日本人女性として、着物だったり、日本人の女性としての誇りである和装の文化を伝えていきたいなという気持ちが、この年になって出てきました。だか ら、ちょっとおねだりできたらいいなと思います」。
-苦しかった、つらかった時期は。印象に残っている試合は?
「厳しい練習をしなければ世界ではいいレスリングはできないし、勝てない。でも、自分ひとりでは乗り越えられない練習も、仲間がいることで乗り越えられ る。苦しいとかつらいとか思いながらでも、楽しくやってきたかなと思う。レスリングの追求、研究を、勝つこと以上にこだわってやってきたからじゃないかな と思う。五輪はどの試合も印象的ですし、最近の試合ではリオ五輪が一番鮮明に残っている試合でもありますし、決勝の試合は本当に悔しい内容で、できればも う一度あの選手と戦いたい」。
-4連覇達成直後、試合内容が5点、メダルを取って25点と言っていた。4連覇を達成し、国民栄誉賞を獲得して、レスリング人生の採点は?
「自分の中では通過点と言うか、まだまだこれから自分のレスリングをどんどん、いいものをつくっていきたいと思っていますし、若い世代にも自分が教わっ てきた技術、考え方、取り組み方を指導していきたいなという気持ちもある。これまでの自分のレスリング人生はまだ半分かな、と。50点くらいをつけま す」。
-東京五輪での5連覇はどう考える?
「東京で五輪をやるのは、なかなかないことですし、それに自分が挑戦できるかもしれないと思うと、やはり挑戦してみたいという気持ちになることももちろ んあります。自分が何をしたいのか、じっくり考えながら、いろんな選択肢の中で決めて行けたらいいなと思います。もう少し時間をかけて考えることなのでは ないかな、と思っています」。
-国民栄誉賞は、華やか過ぎて似合わないと言っていたが?
「おっしゃる通り。ご存知の通り、私はマスコミさんが苦手で、ひたすらレスリングに打ち込ませていただきました。その代わり、会社だったり、レスリング の普及・発展には尽力できていなかったなと反省しています。今後、この賞をきっかけに、レスリングの価値をどんどん上げていかないといけない。レスリング 競技がマイナーからちょっとメジャースポーツになるように、自分自身も変わって行かないといけない」。
-24日に故郷の八戸でパレードがある。青森県民にどういう報告を?
「まだ帰ることができていない。その時に思い切り、ありがとう、金メダルを取って来たよと見せたい。県知事や市長にも大変喜んでいただいていると聞いている。会うのが楽しみ。市民の皆さまにも金メダルをお見せできる。早く帰りたいという気持ちでいっぱいです」。
-レスリングでは吉田沙保里さんに続く国民栄誉賞。吉田さんはどういう存在か?
「国民栄誉賞をいただいても、沙保里さんと同等とは思っていない。沙保里さんという人間は、成績以上に自分が見習わなくてはいけない、尊敬する先輩の一 人ですし、比較されることは多いかもしれないですけど、私も沙保里さんもそこまで気にしていない。いつも助けてくれますし、気遣いをしてくれますし、沙保 里さんの存在は、何て言うんでしょう…ありがたい存在でした。沙保里さんも本当に、感謝する一人です」。
-声を掛けられることも多くなると思うが?
「すごくありがたいことで、本当は、ありがとうございます、と立ち止まって2、3分おしゃべりできたらすごくいい人間だと思うんですけど、私はたぶんつまらない顔をして早く立ち去りたいと見えているかもしれないです。許してください」。
-改めて、伊調さんにとってレスリングとは?
「私自身をつくってくれたものだと思います。物心つく前から始めて、関わったすべての人がレスリングの楽しさ、面白さ、やりがい、難しさも含めてレスリ ングのすべてを教えてくれた。レスリングという競技がなかったら、私はここまで人生を懸けて臨むことはできなかった。本当に感謝しています」。(時事ドッ トコム編集部)
「試合の時に最後は(2年前に亡くなった)母が助けてくれたと言った。母に伝えたい気持ちもあるが、母はきっと生きている人間に感謝しろと言いそうな気 がしている。これまで支えてくださった関係者の皆さま、練習でお世話になった警視庁第6機動隊の皆さまは横断幕をつくってくださったり、温かく迎えてくだ さった。一番伝えたい方々かなと思います。欲しい物は、うーん…。五輪に4度出場させていただいて、これからまた世界に出て行く機会が増えていくと思うの で、日本人女性として、着物だったり、日本人の女性としての誇りである和装の文化を伝えていきたいなという気持ちが、この年になって出てきました。だか ら、ちょっとおねだりできたらいいなと思います」。
-苦しかった、つらかった時期は。印象に残っている試合は?
「厳しい練習をしなければ世界ではいいレスリングはできないし、勝てない。でも、自分ひとりでは乗り越えられない練習も、仲間がいることで乗り越えられ る。苦しいとかつらいとか思いながらでも、楽しくやってきたかなと思う。レスリングの追求、研究を、勝つこと以上にこだわってやってきたからじゃないかな と思う。五輪はどの試合も印象的ですし、最近の試合ではリオ五輪が一番鮮明に残っている試合でもありますし、決勝の試合は本当に悔しい内容で、できればも う一度あの選手と戦いたい」。
-4連覇達成直後、試合内容が5点、メダルを取って25点と言っていた。4連覇を達成し、国民栄誉賞を獲得して、レスリング人生の採点は?
「自分の中では通過点と言うか、まだまだこれから自分のレスリングをどんどん、いいものをつくっていきたいと思っていますし、若い世代にも自分が教わっ てきた技術、考え方、取り組み方を指導していきたいなという気持ちもある。これまでの自分のレスリング人生はまだ半分かな、と。50点くらいをつけま す」。
-東京五輪での5連覇はどう考える?
「東京で五輪をやるのは、なかなかないことですし、それに自分が挑戦できるかもしれないと思うと、やはり挑戦してみたいという気持ちになることももちろ んあります。自分が何をしたいのか、じっくり考えながら、いろんな選択肢の中で決めて行けたらいいなと思います。もう少し時間をかけて考えることなのでは ないかな、と思っています」。
-国民栄誉賞は、華やか過ぎて似合わないと言っていたが?
「おっしゃる通り。ご存知の通り、私はマスコミさんが苦手で、ひたすらレスリングに打ち込ませていただきました。その代わり、会社だったり、レスリング の普及・発展には尽力できていなかったなと反省しています。今後、この賞をきっかけに、レスリングの価値をどんどん上げていかないといけない。レスリング 競技がマイナーからちょっとメジャースポーツになるように、自分自身も変わって行かないといけない」。
-24日に故郷の八戸でパレードがある。青森県民にどういう報告を?
「まだ帰ることができていない。その時に思い切り、ありがとう、金メダルを取って来たよと見せたい。県知事や市長にも大変喜んでいただいていると聞いている。会うのが楽しみ。市民の皆さまにも金メダルをお見せできる。早く帰りたいという気持ちでいっぱいです」。
-レスリングでは吉田沙保里さんに続く国民栄誉賞。吉田さんはどういう存在か?
「国民栄誉賞をいただいても、沙保里さんと同等とは思っていない。沙保里さんという人間は、成績以上に自分が見習わなくてはいけない、尊敬する先輩の一 人ですし、比較されることは多いかもしれないですけど、私も沙保里さんもそこまで気にしていない。いつも助けてくれますし、気遣いをしてくれますし、沙保 里さんの存在は、何て言うんでしょう…ありがたい存在でした。沙保里さんも本当に、感謝する一人です」。
-声を掛けられることも多くなると思うが?
「すごくありがたいことで、本当は、ありがとうございます、と立ち止まって2、3分おしゃべりできたらすごくいい人間だと思うんですけど、私はたぶんつまらない顔をして早く立ち去りたいと見えているかもしれないです。許してください」。
-改めて、伊調さんにとってレスリングとは?
「私自身をつくってくれたものだと思います。物心つく前から始めて、関わったすべての人がレスリングの楽しさ、面白さ、やりがい、難しさも含めてレスリ ングのすべてを教えてくれた。レスリングという競技がなかったら、私はここまで人生を懸けて臨むことはできなかった。本当に感謝しています」。(時事ドッ トコム編集部)
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