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シカゴから愛を込めて


もう先月のこと、アメリカに住む、家内の義理の叔母ジェネリとその娘ケビンが、ネグロス島に一時帰国しました。家内の母方の親戚オフィレニア一家は、出稼ぎのための移住者が多い。ジェネリとケビンを含め、家内の従妹三人とその子供たちが三人、さらに叔父と叔母が三人、合計九名がシカゴで暮らしています。

働いている人は男女とも全員が看護士で、シカゴ市内の病院勤務。もう移住して約15年経っていて、まだ息子が生まれる前に、一度遊びに行ったことがあります。出稼ぎとは言っても、九名・三世帯全員が、建売の一戸建てに住んでいる。郊外なので結構な広さだし、当然車も所有。

シカゴはミシガン湖畔にある、全米の人口第三位の大都会で、別名「風の街」。その名の通り私たちが行った時も、海のような湖からの風が、吹き渡っていました。八月だったので強い風も快適でしたが、冬場はとんでもなく冷たい強風になるのは、容易に想像できる。

冬の寒さは別にしても、概ねいい暮らし向き。移住当初は幼かった三人の子供たちは、今ではもう大学生で、里帰りした家内の従妹のケビンも、もうすぐ卒業。オフィレニア一族で初めてのお医者さんになるそうです。すごい。

今回の一時帰国は、ジェネリの高齢のお父さんが危篤状態になって、急遽決まったもの。結局、シカゴに戻る前にお父さんは亡くなり、死に目には会えて、葬儀も済ませることができました。それにしても、急にアメリカから戻れるなんて、経済的にそこそこの余裕があるんでしょうね。

滞在中、我が家にも二度来てくれて、家内と喋りこんでいました。若いケビンは、フィリピンの言葉は、聞けば分かるけれど、喋ることはできないそうで、会話はもっぱら英語。そこまでアメリカに溶け込んだのなら、そのまま永住するつもりなのかと思ったら、やっぱりいずれは、生まれ故郷のネグロスに戻りたい。ジェネリだけでなく、ケビンもそう考えている。

私のように、祖国を飛び出して、フィリピンの土になるつもりの人間にとっては、あまりピンと来ないけれど、やっぱり生まれ育った場所がいいんですね。特にケビンは、浅黒くマレー系の特徴がはっきりした顔立ち。何かにつけて、肌の色で差別を感じることがあるらしい。「結婚式は、ネグロスの教会で挙げるの!」と意気込んでいました。(まだ相手はいないけど)

ネグロスには、まだ家内の叔母が一人と、その息子ラルフ、奥さんのエリアンがいます。30歳になったばかりラルフも、学生時代は同じようにアメリカ移住を考えて、看護士の勉強をしていました。ところが最近は、フィリピンも景気が良くなり、新婚当初はマニラのカジノで働いていたものの、ここ数ヶ月は夫婦でネグロスに戻り、飲食店のビジネスを開始。話を聞くと、仕事が軌道に乗ったら、ずっとフィリピンで暮らしたいとのこと。

外国語にコンプレックスがあって、未だ海外で就職するのは「冒険」という感覚の日本人。それに比べたら、国民の10パーセントが国外で働く出稼ぎ大国で、多くが英語ネイティブに近いフィリピンでは、若者は誰でも国の外に住みたがるのかと思ってました。

考えてみれが、祖国でちゃんと仕事があり普通に生活できるのなら、わざわざ家族や友達と離ればなれになって、遠い外国に住む必要はない。生また場所で育ち、働き、子どもを作って、やがて死ぬ。それが人間にとっての自然な姿、ということなのかも知れません。



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