ラッキー・ジャパニーズ その2
前回は、私と家族が住んでいる場所が、治安が良く安全で静かだという話を投稿しました。これはフィリピンの地方都市がどこでもそうなのではなく、たった数キロ離れた隣町では、状況がずいぶん違ったりもします。中流以上で、ある程度の収入を得ている人たちは、護身用に拳銃の所持を考えるほど、危ない場所も。
私がこの場所を移住先に選んだのは、「偶然」家内の実家だったからで、何箇所も候補をを用意して取捨選択したわけではありません。宅地の購入にしても、十数年前に土地購入を思い立った時「偶然」実家近くで分譲が始まっていた宅地を、家内の母にお金を送って買ってもらっただけ。今にして思えば、総額100万円以下で、日本に比べれば格安の買い物だったとは言え、ずいぶんな冒険でした。
しかし考えてみると、国際結婚や海外移住に限らず、人生そのものが冒険の連続。絶対安全・絶対確実なことなど、この世にはありません。移住に関しては約10年の準備期間を置いていたので、それなりの確証はありました。また移住してから自宅を建て始めるまでも、半年程度の時間が経過しています。それでも、とても住めないと判断していたら、宅地を転売して、別の場所を探していたでしょう。
住んでいる場所以外にもラッキーだったと思えるのは、家の建設そのもの。「偶然」私の父が、海外の現場で施工経験のある一級建築士だったので、自宅建設の監督を頼むことができました。もしそうでなかったら、建築費はもっと高くついて、不具合がいっぱい出ていたかも知れません。そもそも、この家の基本設計をお願いした建築家Yさんとの出会いもかなり「偶然」。フィリピンに建てる家の設計をお願いできる日本人建築家なんて、そう簡単に見つかるはずがありません。
さらに、とてもいいメイドさんが見つかったことも同じ。たいていのフィリピン在住の日本人が頭を悩ませるのが、働き者で気立ての良いメイドさんを探し当てること。我が家でも、最初の2年ほどは、試行錯誤を繰り返して、3人目のネルジーがやっと当たりくじ。その経緯も、移住直後に知り合った、フィリピン女性ティンティンを介して。ティンティンと「偶然」に出会わなければ、ネルジーを雇うこともなかった。
そんなふうに考えていくと、人生とは「偶然」の積み重ねなんですね。ただし、座して偶然を待っていて今の境遇を手にした、と言いたいのではありません。振り返ってみると、自分が好きでやったことや、自分から進んでやり始めたことで、無駄だったことはなかった。その時は気付かなくても、知らないうちに将来につながる知識を学んでいたり、人生の岐路を作ってくれる人と出逢っていたり。熱中できることをしていれば、必ずそれは未来の伏線になっているもの。
とは言え、不慮の事故や病気もあります。生まれ育った環境自体が、とんでもなく不利なことだってあるでしょう。その意味で大病も大事故もなく、この歳まで健康で過ごせた自分は、とても幸運だったと思います。私の宗旨で言うと「神に感謝」。でもその運は、自分でなんとかできる幅もあるらしい。
意識していることも、無意識のことも含めて、前向きに行動していれば、時たま訪れる幸運をうまく掴むことができる。つまり偶然も自分で呼び込んだとも言える。
鍵になるのは、とにかく行動を起こすこと。周囲が何と言おうが、やりたいことは徹底してやり、やりたくないことはしない。職場が辛いなら退職、家庭が重荷なら離婚。生まれた国に魅力がないなら海外移住。私は全部経験しました。失敗もたくさんしたし、身近な人の心を傷つけたのも、一度や二度ではありません。それでも、やりたくないことを無理に続けて後悔するよりも、ずっと良かったと思っています。
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