最近では、英語を早期に身につけさせるために、親御さん同伴で小学校から海外でという話も時々聞きます。ここまでくると教育移住と呼んだ方がいいレベル。ひょっとすると、この投稿を読んでおられる中にも、将来は我が子に英語圏で教育を受けさせたいとお考えの方がおられるかも知れません。
この投稿は飽くまで、私の住むネグロス島シライ市でのお話。全フィリピンのことを調べて書いたわけではなく、私が体験したり感じたりした範囲のことですので、どうかその点はご注意ください。
移住時に、日本の小学校1年生が終わり、これから2年生になろうというタイミングだった息子。日本での成績はまぁまぁ良い方。ただなぜか言葉の読み書きだけは変に早熟で、3歳になるかどうかの時期、家内に連れられての保育園から帰宅途中に、商店街の漢字の看板を片っ端から音読して、一緒だったママ友を驚かせたりしました。
家では、家内の日本語学習用に買った電子辞書を使い、缶詰の説明書きや家電製品の取説など、とにかく文字の書いてあるものは何でも読む。家内は日常的に英語を話し、時々実家に電話する時はイロンゴ語(フィリピンの方言)。また乳児の頃から、教育熱心な家内が英語の絵本を読み聞かせ。日本国内なのに家庭内が多重言語状態だったので、言葉に対して敏感になる環境だったのかも知れません。
移住に際して家内が選んだのが、私立でミッション系の聖テレシタ学院。シライの市街地にある小〜高一環学校(小学校6年・高校6年)で、授業は英語で行われます。フィリピンでは公立校の学費は、高校まで無料。(制服と教科書は有償)本当は公立でもよかったのですが、シライで公立小学校だと、授業は全部イロンゴ語。まったくゼロからの出発になってしまい、これはハンディが大きすぎる。そんな理由で、フィリピンにしては高めの学費を払うことに。
それでも2年生からの編入は無理でした。理由はタガログ語ができなかったこと。この辺りの経緯は以前にも投稿した通り、1年生からのやり直しに。しかし結局それが良かったようです。後から知ったのですが、フィリピンでは落第も飛び級も当たり前。また家庭の事情で小学校への入学年齢が1年ぐらい違うのも珍しくなく、少しぐらい周囲の子供と歳が違っても、何の差し障りもありません。
それどころか、イロンゴ語とタガログ語以外は、1年間のアドバンテージがあったせいか、年に4回ある定期考査では、もうすぐ5年生の今まで、平均得点が90%を下回ったことがありません。フィリピンでは子供の成績が良い場合とても褒める。言葉だけではなく、その都度、表彰状を用意してくれます。
息子の学校の場合、平均点90%以上が銀賞で、95%以上だと金賞。それ以外にも科目ごとに学年1番の生徒も表彰。有難いことに、これまで息子は20枚近い賞状を貰ってきました。
さらに、毎年学年上位成績の4名が選抜されて、アカデミック・エクセレンスという勝ち抜き方式の学力模擬試験に出場。息子は2年連続でこのメンバーに選ばれました。わざわざ休みの土曜日を潰して、家内が付き添い。州都バコロドにある大学構内の試験場で、近隣の学校から集まった300名の生徒が試験を受けます。
ここまでくると、西ネグロスで一番になれとか、プレッシャーを与えるのは可哀想になってきます。当日は、もう適当にやって、早く帰っておいでと送り出しました。結局、300名中80名にまで残り、準決勝までは進みましたが決勝進出はならず。家内は悔しそうでしたが、もうそれで十分ですよ。その夜は、子供の好きなカレーライスを作りました。ご苦労さん。
こんな具合に、学力が高い子供に対しては、さらに伸ばす制度が充実しているフィリピン。まだ習っていないやり方で回答すると、正解でもバツをつける日本の一部の先生のようなことは、考えられません。
できる子をさらにやる気にさせるのは、勉強だけではなく、美術や音楽、スポーツやダンスも同様。どの分野でも学外の試合やコンテストがあるし、「かけっこ全員1着」みたいな生緩いこともしない。なんと、校内ミス&ミスターコンテストまであったりします。公立小学校に通う、息子と同い年の従姉は、昨年の「ミス・シライ南小学校」に選ばれました。
11歳とは思えない従姉のジャスミン
よく子供は褒めて伸ばすなんて言いますが、フィリピンでは国全体で、その考えが徹底されているように感じます。出る杭は打たれるなんて、想像もできない。アカデミック・エクセレンスの二日後、私が夕方、学校に子供を迎えに行くと、先生が私にまで「おめでとうございます」と言ってくれて、親まで褒められた気分になりました。
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