故郷にミサイル?
日本では大型連休初日の今日、2017年4月29日。北朝鮮からのミサイル発射の報を受けて、東京都の地下鉄や北陸新幹線が一時ストップしました。幸い、ミサイルは発射後すぐに地上に落下し、日本や韓国などに被害は出ませんでしたが、ヘタすると第二次朝鮮戦争の引き金になりかねない、相当ヤバい事態だったことは間違いありません。
私たち家族がフィリピンへの移住を決めた時、私の家族や親戚・友人たちからは、この国の治安の悪さを心配する声が絶えませんでした。フィリピンに住んでいる今、自然災害以外のことで、私が日本に住む家族・親戚・友人のことを心配するハメになるとは、移住当初からはまったく想像すらできなかった事です。
今回の件は、まだ戦争にまでは至っていませんし、そうならないことを祈るだけです。しかし戦争というのはこんな風に始まってしまうものなんだと、思い知らされている気がします。それまで何も原因がなかったところに、突然降って湧く話ではないんですね。
大きく捉えると、日清・日露の戦役からの流れで起こった1910年の日韓併合から、1945年の日本の敗北による朝鮮半島の解放。そして1950年には東西冷戦下、同じ民族が南北に分かれて戦い双方で400万人もの死者を出すという、悲惨な朝鮮戦争の勃発。これは、太平洋戦争での日本人の死者が300万人だったことを考えると、いかに酷い状況だったかが推し量れます。
1953年には一時休戦になったものの、その後も緊張は続き、比較的記憶に新しいところだけでも、1990年代の原子炉施設を巡っての米朝の対立や、2006年以降の北朝鮮の核実験や弾道ミサイルの発射実験など、何度も武力衝突の危機がありました。
そんな戦争の火種が、今生きている半分以上の日本人が生まれる以前から、ずっと目と鼻の先にあった。それなのに日本政府も国民も、隣国で戦争が起こった時に日本は具体的どう向き合うのか、武力を一切放棄して話し合いに徹するのか、それとも合法的に兵力を持って戦えるように備えるのか、どっちつかずの曖昧なまま。結果的には、ここまで状況が切迫するまで問題を放置してしまいました。
戦争が始まれば、日本国民の生命財産が失われる可能性が高いのに、それを決めるのはトランプと金正恩だという理不尽さ。目先の生活の心配や仕事に追われるあまり、自分たちの子供や孫の将来を大きく左右するかも知れない現実を、直視してこなかったことの報いなんでしょうか。私自身も含めて、政治や国際状況に無関心でいることは、こんな事態を招くことになるんですね。
結局戦争を引き寄せるのは、軍備拡張を推進する一部の政治家や、狂信的な思想の持ち主ではなく、何もしない・決めない、文句を言いながらも、決まったことには従うしかないと思い込んでいる、ごく普通の一般国民の態度。
これは、数年前まで私の所属していた日本の大企業にも通じる話で、スピーディな決断ができないことや、間違ったことをすぐに軌道修正できない融通の利かなさは、国家を含めた大規模な組織の運営上の致命的な欠陥。
ここでフィリピンと日本を比較するのは、歴史も現在の状況もまったく違うので、あまり意味がないかも知れません。しかしながら、領土問題で対立する中国と就任直後に速攻で現実的な和解を図った、ドゥテルテ大統領の決断力とリーダーシップには、羨望を禁じえません。
さらには、大統領と言えども間違っているとなれば、権力者を引き摺り下ろすだけのパワーを秘めたフィリピン国民も、日本人にはない本当の意味での民主主義の理解力・実践力があると言わざるをえません。
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