なぜ今、銃剣道?
最初にお断りしておきます。この投稿は、政治的信条が右だとか左だとか、それが良いとか悪いとかを言いたいのではありません。また、銃剣道自体を否定する意図もありません。この種のことを書くと、タイトルと最初の数行だけ読んで、条件反射のように頭にきて、無茶苦茶なコメントを寄せる人がたまにおられるので、反論する方は、最後までよく読んでください。
まず、この投稿の発端は、昨日(2017年4月1日)複数の新聞や放送局よる報道。今回は、ネット上では比較的説明が詳しくて分かりやすいと思われる、NHKのものをベースにします。ただ最近は大手の報道機関でも、ごく稀に驚くような誤報や、事実の一部を拡大解釈した内容があったりします。この投稿は、NHKが正しい報道をしているという前提に書きます。
そのNHKの記事によると、小中学校の新しい指導要領として「銃剣道」を2021年(平成33年)から、中学校で教える武道の「例」として加える、とのこと。
ネット上の意見を見ると、誤解している人がいるようなので書いておきます。これはすべての公立中学校で、銃剣道が必須の授業になるという意味ではありません。また競技人口が少なく、多くのインストラクターを急に育成できるとも思えないので、実際に、どれぐらいの中学校で銃剣道教育が行われるかは、分かりません。
銃剣道がどういうものなのかは、全日本銃剣道連盟のホームページで詳しく解説されているので、そちらをご覧ください。
さて、フィリピン人の家内と一緒になってもうすぐ20年。フィリピンに移住して4年が過ぎて、何かのニュースを見た時に、フィリピン人ならどう感じるか? が判断基準の一つになっている私。この話を聞いた瞬間に思ったのは「これは、フィリピン人の感情を逆なでするだろうな」でした。
全日本銃剣道連盟によると銃剣道の目的は、「心身の鍛錬と礼節を学ぶこと」で、それはその通りでしょう。またスポーツ競技として確立されたものだとも思います。大人であろうが中学生であろうが、好きでやっている人に苦情を言い立てる気は、まったくありません。
ただ、銃剣というものに対して、かつて日本が占領したり軍政を敷いたりした、フィリピンを始めとする東南アジア諸国の人々が、どんな感情を抱くかを想像してほしい。太平洋戦争中、私の住むネグロス島にも多くの日本兵が駐留し、かなりの数の残虐行為があったと聞きます。そして当時小学生ぐらいだった高齢者の中には、ゲリラ討伐の名の下に、肉親や知人を目の前で銃剣で刺殺された人もいます。
私が敬愛する漫画家の松本零士さんが、著作「零士のメカゾーン」(1978年 毎日新聞社刊)で、銃剣のイラストに添えた言葉があります。「銃剣は、しばしば突きつけられた者にとって憎悪の対象となる。突きつけた方は忘れても、突きつけられた者は決して忘れない。それは、かつて一国の力の象徴だったからである。」
フィリピンでは若い世代の人たちも、高校で戦時中のことを教わりますし、祖父母の世代からの体験談も聞いています。また戦争をテーマにした映画やドラマもあります。最近では対日感情がとても良好なフィリピンでも、歴史が忘れられているわけではないのです。
そんなフィリピンの人たちが、日本政府が公式に、中学で教える武道に銃剣道を加えたと聞いたら、どんな気持ちがするでしょう。こう言うと、それなら剣道もダメなのかという声が聴こえてきそうです。確かにフィリピン戦では、軍刀による処刑や殺害もあったそうです。
しかし、太平洋戦争のずっと以前から、日本で大勢の人に親しまれてきた剣道を、自衛官以外の競技人口がとても少ない銃剣道と同列に扱うのは、乱暴すぎます。現在、剣道に対して嫌悪感を抱く人は、フィリピンでもほとんどいないでしょう。私が言いたいのは、小銃を模した「木銃」を使い、兵士による殺傷を起想させる競技(そのイメージを打ち消すための関係者の努力も分かりますが)を、わざわざ今のタイミングで、日本の子供に教えると発表するのが、あまりに配慮がなさすぎるということです。
とは言うものの、いくら私が長くフィリピンに関わっていても、所詮は日本人の想像すること。現実には、少なくとも表立って日本を非難する声は、上がらないかもしれないし、そう願います。それでもフィリピンに住み、子供をフィリピンの小学校に通わせている親としては、フィリピン人の対日感情が悪化しないよう、日本政府の慎重な言動を望まずにはいられません。
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