昨年の帰国時も同様だったのが、働く年配の方が多いなと感じたこと。それもタクシーの運転手さんだとか、空港リムジンの荷物の積み下ろし作業員、飲食店のウェイターさんなど、どちらかというと昔は若い人の就労先。早朝・深夜の仕事だったり、立ちっぱなしや屋外での労働といった、60代・70代には体力的にキツいと思われる内容。
もしみなさんが活き々してたら、別に気にならなかったのでしょうけど、私が会った範囲では、見るからに疲れた表情の方が目につきました。その中の数人と少し言葉を交わしたところ、「お客さんの間違いを指摘したら、逆ギレされた。」とか「この歳でも働かないと、孫に小遣いもやれません。」など、聞いてる私が辛くなるような話ばかり。
私より10歳から15歳ぐらい年長の人たちなので、高度経済成長の頃に青春時代を送り、それこそ馬車馬のように働いた世代。引退後は悠々自適の暮らしが待っているはず...だったのが、バブルが弾けて、その後の「失われた20年」で、当てにしていた年金はどんどん目減り。気がつけば、終点が間近に迫っているのに、まだまだ働かないと生活ができない。
学生の頃バイトした某駅前地下街
働いていた店は潰れ、その周囲もシャッター街に
本当に冗談ではないし、他人事でもありません。もし私が50歳で早期退職・フィリピンに移住という選択をしなければ、今から5年後10年後に、私がそうなっていたかも知れない。もちろん先のことは分かりませんから、フィリピンに住んでいても、問題が起きないと決まったわけではありません。しかしこれは、間違いなく自分で選んだ道。少なくとも今現在は、将来に対する不安をほとんど感じないで済んでいます。
それにしても、いつの間に日本は、これほど生き辛い国になってしまったんでしょう。それ以外に気になったのは、電車に乗り合わせたり、道行く人たちの顔つき。全員がそうということではないけれど、特に私と同年代かそれ以上で、余裕のない怒ったような感じの人が増えたように思います。人様の顔をどうこう言うのは、天に唾する行為かも知れません。でもここで言いたいのは、顔カタチや美醜ではなく、顔つきや目つき、表情のこと。
昔は「四十を過ぎたら、男は自分の顔に責任を持て」なんて言ったものです。40歳にもなれば、生まれつきの顔の造作を超えて、それまでの経験や生き方が、隠そうとしても表情に出てしまうという意味なんでしょう。私は男女関係なく、今でも有効な格言だと思っています。
そういう意味では、現代の40歳以上の日本人の何割かは、よほど辛くストレスに満ちた人生を送ってきたのか? 「俺・私に近づくな」オーラを漂わせいて、正直、友達にはなりたくない顔つきです。あんまり印象が強烈だったので、自分の顔が同じようになっていないか、鏡で何度も確認してしまいました。
ちょっと安心したのは、今回久しぶりに会った昔の友達や、家族・親戚に、人相が悪くなった人が誰もいなかったこと。心配事が皆無ではないけれど、みんなそれぞれに幸せに暮らしているんだと理解。特に11歳の息子と同年代の子供たちの笑顔をたくさん見られたのは、ひょっとするとこの一時帰国の一番の成果だったのかも知れません。
そして無事帰ってきた、我がフィリピン・ネグロス島。
老いも若きもみんな穏やかで、ええ顔してるねぇ。相変わらず子供はうじゃうじゃいるし。日本みたいに「完璧な」サービスや品質は、まったく期待できないけれど、やっぱりユルユルで、多少失敗しても誰も気にしないこの空気は、今の私にとって何事にも代え難いものなんだと、実感しました。
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