活躍する日は来なくてもいい
今年(2017年)5月にフィリピン・ミンダナオ島のマラウイ市で、政府軍とイスラム系過激派との軍事衝突より、戒厳令が布告。その後、12月末まで戒厳令の期間延長がフィリピン議会に承認され、4ヶ月が経過した現在の死者数は、過激派660名、政府軍兵士145名、一般市民45名の合計850名となっています。(9/13付け日経の記事による)
日本に住んでいる人にとっては、遠い国の戦争。ところが、フィリピン国内に住む私たちにとっては、たとえ戦闘地域ではなくても、とても生々しく感じられます。それは、テレビのニュースで、政府軍の戦死者の情報が詳しく報道されるから。
家族で夕食を囲む、午後7時前後。亡くなった兵士の顔写真が一人づつ紹介され、それに続き、葬儀で嘆き悲しむ家族の様子が、テレビに映し出されます。フィリピンのテレビ局は、こういう内容の映像にBGMをつけるのが一般的。息子と一緒に見ていると、ちょっと勘弁してくれよ、という気分。
これが、戦時下の国の現実。たいへん幸いなことに、私の生まれ育った日本では、1945年の敗戦以来、一度としてこのような事態になったことはありません。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と謳った憲法下で創設された自衛隊。私には、どう考えても自衛隊は「戦力」にしか思えないけれど、これまた幸いにして、その戦力を行使することなく、現在に至っています。
ここ最近、きな臭い雰囲気が満ちてきた日本周辺。新しい憲法解釈で、自衛隊の海外派遣が可能になったり、北朝鮮の軍事挑発が露骨になってきて、一つ間違えば、日本でも7時のニュースで、戦死した自衛隊員の追悼報道が流されることに、なりかねない情勢。
年齢的に、私はもう兵士として前線に駆り出されることは考えにくい。こうなると、やはり気になるのは小学生の息子の将来。今後、日本・フィリピン、どちらの国籍を選ぶにしても「お国のために名誉の戦死」なんてことにだけは、絶対になってほしくない。まさに「君、死に給うことなかれ」*の心境です。
そんな時に思い出されるのが、27年前に麗美が歌った「走るそよ風たちへ」という歌。1980年代、学園祭の女王と呼ばれて、たいへん人気のあったシンガーソングライターの麗美(れいみ/Reimy)。私も何枚かCDを買って、フィリピン移住後も、スマホに入れて時々聴いています。最近まで知らなかったのですが、この人、フィリピン人のお父さんと日本人のお母さんを持つ、ハーフだったんですね。私より3歳若いだけのほぼ同年代。
沖縄生まれの麗美さん、1985年、横須賀にある陸上自衛隊関連学校の学園祭で歌ったことがきっかけで、その5年後に自衛隊員を目指す学生に捧げる歌をリリースしました。これが「走るそよ風たちへ」。日本のポップソングとしては異例とも言える歌詞。いわゆる「反戦歌」ではありませんが、祖国を守るために集う若者たちに対する、何とも切ない思いが託された良い歌です。
特に終盤の「活躍する日は、来なくてもいい」という一節が胸を打ちます。そうなんですよ。兵士が活躍するということは、その兵士が傷ついたり、命を奪われたりすることに他なりません。当たり前のことだけれど、死んだ兵士の母が、父が、子供の棺に取りすがって涙に暮れる、ということになる。
フィリピンに移住して、この歌詞の重さを実感するとは想像もしていませんでした。本当にマラウイでの戦闘の一刻も早い終結と、日本の自衛隊がこの先もずっと、戦闘で活躍しないで済むことを祈るばかりです。
*君死にたまふことなかれ
明治生まれの歌人、与謝野晶子が、日露戦争に従軍した弟のために書いた詩。
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