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KY知事の“正論”

編集を中断して再びロケ。
県立診療所が無床化された(=入院できなくなった)岩手県紫波町を訪れた。
4月から無床化された地域(県内5ヶ所)を達増拓也知事が訪ねて開く地元説明会の取材である。

紫波町では3年前まで60床の県立病院だったものが、19床の診療所となり、今年は入院ができなくなった。
相次ぐ医療サービスの縮小に、当然ながら地元の反発は強い。
去年11月に無床化の方針を打ち出して春に実施という慌ただしさに加え、
知事が事前に説明に来ず、無床化という結果が出て初めて来たという事実が怒りを増幅している格好だ。
会場には医療縮小の直撃を受ける中高年を中心に、ざっと見まわした印象で二百人ほどの住民が集まった。

知事は、県立病院で働く医師が5年間で75人も減った事実を挙げ、
医師不足のなかでは(一部診療所の無床化によって)医師の負担を軽減しない限り、
岩手県の医療は5年以内に崩壊してしまうと危機感を訴えた。
いま各地で問題になっている救急医療の所謂「たらいまわし」を起こさないためには、
大規模基幹病院に医師を集中するしかない、
今回の無床化は苦渋の選択とはいえ現状ではベストだったと述べて住民の理解を求めた。

ぼくが取材してきた医療現場の実情から云えば、知事の抱いた危機感は的を得たものだと思う。
確かに、限りある戦力を分散的に配置していたのでは医療崩壊を加速するだけである。
しかし、その一方で、
今回の岩手県の医療再編計画が救急など急性期医療の再構築を図るだけで手いっぱいで、
高齢化が進む地域ではより重要であるはずの
慢性期・回復期医療(=福祉との境界領域)を投げ出してしまったという印象は否めない。
紫波町の県立診療所は、
もともと医療・福祉連携のモデルケースとして、
平成元年に特別養護老人ホームを併設して移転・新築されたものである。
病院と廊下で結ばれている(=症状が悪化すればいつでも入院できる)という安心感をベースに、
特別養護老人ホームでは平均要介護度4.6超という症状の重いお年寄りを多く受け入れてきた。
それだけに町内の福祉関係者からは、
「モデル事業だったはずの医療・福祉連携をどう総括しての無床化か」という質問が相次いだ。

知事はそれに直接答えず(何代か前の知事がやった事業など知らなかっただろうとは思うのだが…)、
「現在の医師不足の根本的な要因は国の医療費削減政策にある」
「福祉との連携など地域密着型の医療は市町村の責任で行うのが地方自治の原則だ」など持論を展開した。
ぼくは知事のこうした認識は基本的に正しいと思うのだが、
それにしても、
住民の疑問に正面から答えようとせず、
こうした一般論としての“正論”を繰り返すのでは、県の責任転嫁にしか聞こえない。
これでは、住民の怒りの火に油を注ぐようなものである。
現に「ちゃんと質問に答えろ」「評論家なのか」といったやじが飛び交う事態となった。

達増拓也知事は、盛岡の高校から東大法学部に進み、卒業後は外務省に任官した。
小沢一郎に見いだされ三十代半ばで衆議院議員に当選、二期務めた後、知事選に打って出て圧勝した。
現在44歳、ばりばりのエリートなのである。
しかし、こうした順風満帆できた人にありがちなように、自分の意思を他人に伝えるのが苦手なようだ。
理屈が通っていれば誰もに理解されるはず、
あるいは、理屈が通っているからには理解「されるべき」だと思い込んでいる気配がある。
不安と反発が渦巻く地域に乗り込んで、
専ら自らの判断の正しさを強調するのはいたって稚拙な対応だと云わざるを得ない。
無床化に関連する予算案を通すために県議会で土下座を繰り返したことでもわかるように、
この人、ちょっとKY(=空気が読めない)のケがあるのではないか。

…結局、知事と地元住民との懇談はまるで噛み合わないままに終わった。
最後に逆ギレした知事は
捨て台詞のように「みなさんが納得していないことはよく解りました」と云ったが、
住民が納得していないことは、議論の末の「結論」ではなく、むしろ「前提」なのではないだろうか?
これでは、いったいなんのためにわざわざ出向いて来たのか首を捻らざるを得ない。
不満の「ガス抜き」にすらなっていないのである。

医師不足や勤務の実態を問われた県立中央病院の看護部長(県側の一員として出席していた)が、
医師も看護師も忙しさがもはや限界にきていて
地域に必要な医療を維持するためにはある程度の集約は避けられない現実を率直に語ったとき、
知事や医療局の説明には盛んにやじを飛ばしていた住民のあいだから拍手が起った。
それだけが、この日の不毛な懇談会のなかにあって、ぼくには一抹の希望のように思えた。

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