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インターネットが開いたパンドラの箱

・インターネットとジュース飲んじゃった子供と資本主義

世の中には知らないほうが幸せなこともあります。

例えばある海外ボランティアの人が、アフリカの貧困層の子どもにジュースを与えようとしたら、現地のボランティアの人が
「この子達に贅沢を教えないで!」
と言って制止したそうです。

ジュースを一度でも飲ませてしまったら子どもはまた欲しがります。でもその子は二度とジュースを飲むことはできません。それを我慢させるくらいなら最初から教えないほうがずっとその子にとって幸せだというわけです。

この話を聞いて、多くの日本人はどう思うでしょうか。「可哀想な子どもたちだなあ」と思うかもしれません。しかしそれは完全に間違いで、今までほとんどの日本人は、むしろ子どもの立場だったんじゃないかと思います。なぜなら以前の日本では真実の情報というのは常に隠されており、庶民がそれを知ることはまず出来なかったからです。

しかし、インターネットが普及すると、ありとあらゆる情報というパンドラの箱は全開になってしまいました。この解き放たれた情報の洪水が、いままで隠されてきたものを次々と白日の下にさらしてしまったのです。

箱から飛び出した情報の中には、ジャンクなものもありますが、真実もありました。その中から私の目に留まったのは富裕層の驚くべき生活ぶりや、どうやってそうなったのかといった情報でした。そこで私はその類の情報を集めてみたのです。

すると、そのような人たちがそうなったのは元から資産家や既得権益を持った家に生れた人を除き、ほとんどの人はリスクを取って事業を行ったか、投資で成功した人でした。
もちろんその影には失敗して悲惨な目にあった人も少なくないでしょう。しかし、リスクをとらない普通の労働者は一切でてきません。
ここまで調べて、当たり前のことにふと気づきました。そういえば日本は資本主義だったのです。

しかし、そもそも資本主義という言葉の意味を良く知らなかった私は広辞苑を引いてみました。するとそこには
「生産手段を持つ資本家が、労働力以外に売るものがない者から労働力という商品を買い、それを利用して剰余価値を得る社会体制」
などと書いてあります。

さらにマルクスの資本論はもっとトンデモナイことを言っています。
「資本主義とは、労働力が生み出した価値と不当に低く抑えられた労賃から生まれる差を剰余価値とする、生産手段を持つ者による搾取のシステム」
というような感じです。

「搾取」と身も蓋もなくハッキリ言い切られたら返す言葉もありませんが、実際に私が調べた富裕層の人たちはことごとく、悔しいけれど確かにこの「生産手段を持つ者」だったのです。
「生産手段」とは平たく言うと、ビジネスを所有することであり、企業オーナー経営者や、株主を指します。

まるで労働とは働くしか能が無い者がする行為と言わんばかりの、人の価値観を根本から否定するようなこの記述には気分が悪くなりましたし、私なら実際にいくらお金があったとしても、やる仕事もないようなつまらない人生を送るのはまっぴら御免なので、この社会体制はやっぱり間違っていると思います。

しかし、変な言い方ですが、間違っていることが正しくても、それでも日本が資本主義である事実は変わりません。
となると、私たちには考えることが山ほどあるのだから自分が考えても何も変わらないことを考えるのは時間の無駄なのです。自分のできる範囲で、自分が良くなると思う行動をするしかないのです。

こうしてインターネットは私に知らなくて良かったことを教えてしまいました。この瞬間、私は「ジュース飲んじゃった子ども」になってしまいました。



・食って着て眠れればいいじゃないか!

一方で、インターネットはグローバリゼーションも加速します。

当たり前ですが、私たちはモノを買うとき、安い店を知らなければ近くの店で高く買うかもしれませんが、知ってしまったら、安いところで買うに決まってます。さらに現在は店まで行かなくても、クリックひとつで買えてしまいます。

この結果、高コストの店の利益が下がり、低コストの店の利益が上がります。そして当然、高コストの会社の従業員の給料は下がる方向へ変化し、低コストの会社の方は逆に上がります。
つまり情報へのアクセスが簡単になるということは、所得の均一化も加速します。

熱い飲み物の入ったカップと冷たい物の入ったグラスは離して置けばお互いの温度はゆっくりしか変化しませんが、くっつけて置いたら急速に均一化します。
情報が早く伝わるということは、このカップとグラスをくっつけて置くのと同じです。

こうしてインターネットは日本の単純労働者の所得を一気にベトナムや中国内陸部の人たちの方へ近づけ、逆に新興国の労働者の賃金を引き上げます。
その結果、所得の下がった日本の単純労働者が日本の内需を押し下げ、単純労働者以外にも波及して行くのは時間の問題となります。この熱伝導の如く一方的な変化は、もはや抗いようが無い現象と思います。

さらに良くないことに昨今は低金利が常態化しています。平均5%以上の
金利×長期円高トレンドを謳歌し、毎年着実に上がる収入を預金するだけでドルベースでひと財産を築けた親の世代とは、もはや完全に違うのです。
こうなると余裕と思っていた衣食住でさえ、じきに危うくなる可能性は高まります。火は既に自分の足元を焼き始めていると思いませんか。

それでもイチローや羽生のように、ズバ抜けた一芸を持っているのなら何も心配はありません。彼らは代替の効かない価値を持っているからです。
しかし、自分はどう考えてそんな価値は持っていないと思いました。そのため一刻も早く資本主義のルールにのっとった行動を取るべきだと思ったのです。



・全ては資本主義のルール上に築かれている

資本主義のルールを早く覚えなければ、と考えた理由はもう一つあります。
日本は資本主義ですから、資本主義のルール上に法が作られ、その法の上で会社は営まれています。

すると仕事などは、さらにその上の会社のルール上でするわけですから、ビジネス本でデキる仕事術を勉強するのも大事ですが、まずはこの社会の礎である資本主義のルールを謙虚に学ぶほうが優先度が高いと思います。
1たす1が分からないのに、微積分を勉強するのは順序が違うのと同じ理由です。

とは言っても何事もバランスが大事ですから、投資や経済の勉強ばかりするのもどうかとは思います。しかし当時の自分は明らかに仕事に必要な勉強に比べて法や資本主義の勉強が足りないと感じましたので、資本主義のルールを早く覚えなければ、と思ったのです。

こうして私は資本主義とはなんぞ?という勉強をして、投資を始めようと思ったのですが、投資とは当然リスクを伴うものであり、正しくやれば必ず成功するというものではありません。
一応、統計的には長期ではプラスになるという事実はありますが、データはあくまで過去のものであり未来を保障するものではありません。
ですから余計なことを考えて余計な心配をして投資して、結局失敗したら素直にまじめに働いていたほうがずっと良かった、という結果になることも大いにありえます。

しかしここまで書いてきたように、今後は何もしなかったらジリ貧になることだけはまず間違いないのです。しかもシャレにならないジリ貧です。今の政治を見ていると、将来は病気になっても医者にもかかれなくなるかもしれません。
実際、既にアメリカはそんな状態です。
言い換えれば、将来まともな生活をしたかったら、投資とは大成功を狙わずとも、そこそこ上手く”たしなむ”程度は必要なものであると思います。

パンドラの箱の話は一番最後に”希望”を出してしまったのが最大の救いであり罪でもあります。
これらのリスクを承知でも自分はきっと上手くいくはず、という希望に賭けて投資をしてしまうのは、インターネットもパンドラの箱と同様にやはり最後に”希望”を出してしまったんでしょうか。インターネット上に私が見つけた無数の富裕層の情報はまさにこの”希望”なのかもしれません。

もっとも、散々リスクリスクと言いましたが、そのリスク、そんなに脅える程でもないでしょう。なぜなら、ほとんどの人は既にそのリスクを負っているからです。
具体的に言うと、多くの人はビジネスを行う会社に雇われてサラリーを安定的に得ていますが、ビジネスとは本来リスクのあるものなのです。そのリスクのあるビジネスをほとんどの人がやっていて、なんとか安定してサラリーを貰えて生活できているのですから。

株やインデックスを買うという投資行動は、それらのビジネスを所有することなので、自分の勤める会社が潰れたり、リストラされたりするリスクと投資で失敗するリスクはそれほど変わらないとも考えられます。

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