千葉駅近くの和食屋で、東金に建設が予定されている医療センター問題の取材、
医師や住民有志、新聞記者と会って情報交換を行なう(というか、ほとんどぼくが一方的に話を聞く)。
いま手がけている「ダム」の次は、
「日本中に地域の実情にあわない巨大病院の建設が相次いでいる」問題を取り上げるつもりである。
そして、きょうがぼくの今年の仕事納めとなる。
東金に建設が予定されているのは三次救急を中心にした314床の病院で、
人口規模に比してあまりに過大な計画のため、
膨大な赤字を垂れ流して
運営主体の東金市、九十九里町の財政に壊滅的な影響を及ぼすのは明らかなように思われる。
それでも建設は止まらない。
話を聞くうちに、例えばダムなど公共事業の問題と全く同じ構図があることに気がつく。
まず客観的な必要性(需要)を積み上げて建設を決めるのではなく、
規模を含めた建設があらかじめ決まっていて、そこから逆算して需要を弾き出していることである。
つまりは“数字合わせ”で、
だから日本の公共事業のほとんどは後になって「こんなはずではなかった」という結果に陥ってしまう。
東金でも、従来の患者数では巨大病院を維持できないのは明らかなので、
「病院を新設すれば千葉市の患者の一部が流れてくる」など希望的観測を積み上げて数字を作っている。
300床を超えると国の補助金が格段に増えるらしく、始めからその規模が決められていたとおぼしい。
さらに、公共事業の背景には官僚機構の自己増殖本能が働いていて、
公共事業の実施に伴って様々な独立行政法人が作られ、天下りのポストが生まれているのは知られた話だ。
病院の場合、この官僚機構にあたるのが大学医学部で、
東金でも新病院建設に伴い教授、准教授などのポストが(一説によれば50以上)作られる。
大学は新病院に医師を派遣する義務は負わない一方で、
人件費は地元の自治体が負担し、人事権は大学が握る「教授」の椅子が増えるわけだから、
大学側にとってはどう転んでも損はない話である。
これがダムや道路であれば、作ってしまえばそれまでの話で、維持管理費が膨大にかかるわけではない。
しかし、病院の場合は、作った後に毎年膨大なコストがかってゆく。
もし患者数が想定した(希望的観測の)数に届かなければ、
二つの自治体にとっては財政破綻に向かう“地獄への一本道”である。
東金地区は、大学の医師引き揚げによる医療崩壊の瀬戸際から、
開業医や地域住民と連携しながら自前で医師を育てる取り組みを続け、
再生を軌道に乗せつつあったところである。
それを考えると、「公共事業としての病院建設」は逆行であり、やり切れない愚挙といわざるを得ない。
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