ついでに云うなら、「甲子園」も嫌いだ。
プロ・スポーツはいい、能力が金額として評価されるから寧ろ“純粋”である。
それがオリンピック(や甲子園)になるとすべてがタテマエめいた“きれいごと”の世界で、
マスコミの論調も妙に美談仕立てになるところが気に食わない。
いたずらに国や郷土、あるいは母校といった共同体への帰属意識を謳い上げるところがあり、
Standing aloneを信条としているぼく(単に「はぐれ者」とも云うのだが…)には馴染めない。
もちろん、日本人選手が活躍すれば、「ご近所さんのおめでたい話」として祝ってあげればよい。
しかし、「日本のメダル獲得数」なんて、スポーツの世界ではどーでもいいことではないか。
ましてや、メダルの獲得数が少ないと「責任問題」かなんか言い出す莫迦がいて、やり切れない。
メダルの数が国威発揚に結びつくと考えるほど、この国が後進国だとは思いたくないのだが…。
しかし、そんなぼくが、
クリント・イーストウッドの新作「インビクタス/負けざる者たち」にはほとほと感動させられた。
これは1995年に南アフリカで開催されたラグビーのワールドカップを利用して、
国民融合、アパルトヘイトは廃止されたもののなお激しく対立していた黒人と白人との和解を図る、
当時の南ア大統領ネルソン・マンデラの物語(原作はノンフィクション)である。
もろに「スポーツの政治利用」の話なのだが、
それが確信犯的に明確に意図されたものであることで、
ぼくのようなヒネクレ者にも却って抵抗なく受け入れられるものになっている。
もちろん、マンデラがそういう道を選択せざるを得なかった背景がきちんと描かれていることもある。
イーストウッドの語り口はいつものようにストイックに徹しており、
有名俳優がマンデラ役のモーガン・フリーマンとマット・デイモンくらいしかいないこともあって、
時にドキュメンタリーであるかのような錯覚を起こさせるほど迫真力に充ちたものだ。
ぼくはいつものように予備知識をほとんど持たずに見たのだが、
(そして、南アフリカの政治状況についてもほとんど無知なのだが)
サッカーに興じていた黒人の子供たちが大統領に就任したマンデラの車を熱狂的な歓呼をもって迎え、
道路一本を挟んだグラウンドでラグビーの練習をしていた白人たちがそれを苦々しく見守る導入部から、
ラグビーがもともと「白人のスポーツ」であり、
南ア代表チームがアパルトヘイトの象徴のように見られてきたことが解ってくる。
敢えてそのチームに肩入れをすることによって、
差別者であり旧支配者であった白人に対する黒人の「赦し」を演出し、
一気に国民融合を図ろうというのが大統領に就任したばかりのマンデラの決断なのである。
これには、当然、支持層である黒人たちからの反発が予想されるため、
自らの政治生命を託した危険な「賭け」となる。
側近の反対を押し切って、
マンデラは代表チームの熱心なサポーターとして振る舞い、
そして一方でチームのキャプテン(M・デイモン)を大統領官邸に招いて、
激励するとともに暗にワールドカップで優勝することを求める。
穏やかな表情の陰に隠されているのは、
ヒューマニズムでもあろうが、それ以上に、したたかで強靭なマンデラの自我(エゴ)である。
新たなスタートを切ったばかりの南アが国として成り立っていくためには、
富裕層である白人の協力が欠かせず、
それには黒人側が恩讐を超えて歩み寄るしかないという政治家としてのリアリズムでもあるだろう。
そのためにマンデラはワールドカップを利用し、
下馬評の低かった南ア代表チームが見事に優勝するという「事実は小説より…」的な強運を引き寄せる。
今年で80歳になるイーストウッドは、
ワールドカップ決勝のニュージーランド戦のシーンに凄まじいまでの馬力を見せる。
この年齢でまったく枯れないというのが凄い。
緩急自在というのか、無駄も不足もない表現の的確さというのか、
70代になってなお成長し、いまや世界の映画界で並ぶものとてない巨大な存在になった。
ハリウッドで志を得られず「ばったもん」のマカロニ・ウェスタンに流れ、
汚いポンチョを羽織って苦虫をかみつぶすような顔で葉巻を吸っていた男の半世紀の軌跡を振り返ると、
これまた「事実は小説より奇なり」という感慨にふけらざるを得ない。
地元の代表チームの劇的な優勝に黒人も白人もなく酔いしれる南アの人々、
やがて黒人の子供たちのあいだにもラグビーが根づいていく。
乾坤一擲の賭けに勝ったマンデラは獄中にあったとき心の支えにしたという英国詩人の詩を口ずさむ。
「我が運命を決めるは我にあり 我が魂を征するは我」
ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの「不屈(Invictus)」という詩であるらしい。
この映画は断じて美談仕立てのスポ根ものではない。
神は自らを助く者を助ける…自らの力で道を切り開いていく巨大な人間像を描いて、感銘は圧倒的である。
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