大差がついた原因としては
選挙制度(勝者が選挙区の総ての票を取るアメリカ大統領選方式)の問題もあるようだが、ここでは措く。
ぼくは、この選挙結果によって、一縷の望みを断たれたように思えてならない。
とはいえ。
もともと陰湿で強権的なイメージがつきまとう、如何にも土建政治家風の小沢一郎には嫌悪を感じてきた。
リベラルっぽい菅直人の方が印象としては遙かに好ましく思える。
しかし、ここまで時代が閉塞してくると、中途半端な「リベラル」なんぞ何の役にも立たない。
戦後の長すぎた自民党政権の下、
日本社会は様々な既得権益が絡み合ってがんじがらめになり、活力を失ってきた。
既得権益で守られた世界では人材が必ずや劣化する。
以前、このブログで「日本再生計画大綱・試案」と題してぼくの現状認識を書いたが、
閉塞に向かう情況をなすすべなく悪化させてきたのは、社会の中枢を担う人々の「劣化」に他ならない。
ぼく自身が属するマスコミの世界が、
大きくは免許制度に基づく電波の占有とクロスオーナーシップ(新聞社とテレビ局の系列化)の問題から、
小さくは排他的な記者クラブの問題に至るまで、
実は徹頭徹尾、既得権益によって守られてきたという事実は、
この一年あまりの徹底的な小沢バッシングが逆に浮かび上がらせたのではないか。
今回の代表選に関しても、
制度破壊者として登場した小沢へのマスコミの攻撃が殆ど「世論操作」というべきものであったことは、
田原総一朗や上杉隆、江川紹子をはじめとする諸氏が繰り返し指摘してきたところである。
こうした既得権構造の中核に位置するのが、いうまでもなく中央官庁の官僚機構である。
同期の一人が次官に昇進すれば残りの者は勇退するという
世の中の他のどこにも通用しない慣行にいまだ固執していること、
その慣行と密接にリンクする格好で「天下り先」がしぶとく温存されていることひとつをとってみても、
官僚組織の既得権益がむしろ自己増殖的に国家の中枢に根を張り巡らしていることは明らかである。
また官僚組織がそれ自体、既得権益相互の調整を行動様式=意思決定システムとしているのも確かだろう。
つまり、官僚機構と既得権益は、まるでシャム双生児のように背中がぴったりと張りついた構造にある。
そして、それゆえに、その「劣化」は凄まじい。
財務省は隙さえあれば消費税増税を打ち出してくるが、
内需の収縮による消費不況をそのままに消費税を上げれば、
それでなくとも青息吐息の日本経済が壊滅的な打撃を受けることは火を見るより明らかではないか。
財務バランスなどの諸表を数字だけで見ればそのような結論にもなろうが、生きた経済を知らなさ過ぎる。
所詮は既存の官僚機構の維持を前提に「財政健全化」を図っているだけの話で、
「木を見て森を見ず」の議論、「角を矯めて牛を殺す」愚策と言わざるを得ない。
…というのはむしろ好意的な見方であって、
意地悪くとれば、なりふりかまわず自分たちの権益を死守しようとしているだけだと言えなくもない。
これでは、「国破れて官僚機構あり」ということにもなりかねない。
いずれにせよ、官僚機構の総本山をもって任じてきたはずの財務官僚の質の低下は目を覆うばかりである。
菅さんの困ったところは、そうした財務省の口車に易々と乗せられてしまうことである。
いくら「雇用、雇用」と連呼したところで、
経済の歯車がまわり始めない限り、どんなインセンティヴを用意しようが雇用情勢が改善するはずもない。
「経済音痴」と人は云うが、そういう問題ではないだろう。
就任して僅か3ヶ月で、この人は「世界観を持たない」ことを露呈してしまったのである。
巡礼を続けていていただいた方が、世の中のためにはよかったのではないか。
現在の日本が抱える最大の政治課題は、
入り組んだ既得権構造を破壊しながら消費(購買力)の拡大を図り経済の収縮に歯止めをかけること、
(消費税を上げるとすればその後の話である)
そしてもうひとつは従来の対米従属一辺倒の外交からの脱却である。
滅びゆく斜陽大国・アメリカに義理立てして心中するというなら話は別だが、
日本を将来にわたって経済的にたちゆかせていくためには、
まずは米中等距離外交(必然的にアメリカとは従来に比べて距離を置くことになる)、
中長期的には(中国をはじめとする)勃興するアジアの国々へのシフトを強めていくしかない。
これは好き嫌いの問題ではなく、国家の盛衰興亡が世の習いである以上、単なるリアリズムである。
しかし、既存の官僚機構に手をつけることと同様に、
アメリカ一辺倒に組み上げられた従来のシステムを変えていくには腕力が必要だ。
場合によっては徹底的な政治闘争、権力闘争も敢えて辞さないだけの蛮勇がなければ実現はおぼつかない。
調整型の政治家にできることではない。
世界観のない政治家はスタートラインに立つことさえできないだろう。
それがぼくが大嫌いなはずの小沢一郎に一縷の希望を託した理由である。
しかし、民主党は…というより「世論」は、「変えない」ことを選択した。
結果として、この国の衰退には歯止めがかからない。
もしかすると、数十年の後に、この国の衰亡史のメルクマールとして残る「決断」だったのではないか。
ぼくは少なからず絶望し、耐え難いまでの“虚しさ”を噛みしめている。
コメント
コメントを投稿