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追悼・原田芳雄(「大鹿村騒動記」)

東京での最後の番組を仕上げ、
資料などの荷物を仙台に送る段取りをして、11年勤めた職場とサヨウナラ。
新宿のシネコン「バルト9」で「大鹿村騒動記」を観る。

阪本順治の新作、というより19日に亡くなった原田芳雄の遺作である。
すっかり爺さんになった原田さん(71才だった)が、
サングラスにテンガロン・ハットという姿で画面に現れるだけで泣かせる。
老け込みはしたが、そこにいるのは確かにいつもの原田芳雄である。
親友(岸部一徳)と妻(大楠道代)が駆け落ちをするという、
古傷を抱えたまま老いを迎えた男で、
どうやらまだ痛手から完全に立ち直ったわけではないらしい。
(その証拠に18年間、離婚届に判を押していないという。)
そこに件の親友が
記憶喪失症を患った妻を連れてひょっこり帰ってきたところから騒ぎになる。
妻は最近ではすっかりボケてしまい、
自分のことを「善さん」(原田の役名)と呼ぶので「返す」と親友はいう。
身勝手といえばこれほど身勝手な話もないのだが、
原田は半ば毒気を抜かれたような格好で、結局、二人を受け入れてしまう。
…こういうヌケヌケとした役を
ヌケヌケと演じることができるのが岸部一徳という役者で、
岸部はほとんど主役の原田を喰ってしまうほどの怪演を見せる。

かつての親友にして恋敵だった爺さん二人が
取っ組み合いをしたり酒を酌み交わしたりというあたりが、実にオカシイ。
爺さんたちのやることだから、どこかユルく、調子ッぱずれなのである。
「こいつ、これで昔はビートルズに憧れてよ、髪長くしやがって」と
原田が岸部に対してツッコミを入れるのはアドリブっぽいが、
タイガースのリーダーとしてベースを弾いていた姿を記憶しているから、
観客としては、
高齢者一歩手前の64才になった岸部の人生も
どこかで重ね合わせながら映画を観ることになる。
否応なく高齢化が進んだ田舎町の
(大鹿村は実在していて、ぼくが通っていた伊那や駒ケ根に近い)
人生の山坂を越えてきた人間模様が可笑しくて可笑しくて、
大笑いしながら、やがて涙が滲んでくる。

かつて、原田芳雄はぼくの憧れだった。
藤田敏八の「赤い鳥逃げた?」で初めて出会ったのが高校二年生のとき、
野性的で男っぽいがひどく屈託したキャラクターが時代の波長に合っていた。
(「赤い鳥逃げた?」で原田が演じた主人公はインポテンツだった。)
いつもかけている黒いサングラスが、
屈折した主人公の心象とともに、
決してまつろわぬ反逆の精神をも象徴していた。
もはや、絵に描いたような二枚目や、
強く正しい「正義の味方」の時代ではなかった。
ぼくはたちまち夢中になって、恥ずかしいほど強い影響を受けた。
高校生のガキがいきなり原田を真似てサングラスをかけ始めたのだから、
そのシンプルな思考回路には今となっては笑うしかない。
大学に入ると服装が自由になっただけコピーもエスカレートして、
原田がかけているのに似たナスビ型のサングラスを度付きで新調し、
いつもジーパンにTシャツ姿、その上にはラフにコートを羽織ってみたり…。
やがて、どう格好を似せてみても
原田芳雄ほどカッコよくはならないという冷徹な現実に気がつくのだが、
それでも、ぼくはいまだにサングラスを常用しているのである(笑)。

かつて原田芳雄に憧れた高校生がもう55才だから、
原田さんが老けこむのも道理である。
アノ原田芳雄が七十を超えていたと聞いて意外に思ったものだが、
60年代の後半から活躍していた人だから、考えてみれば当然の話である。
最近では、頑固な爺さん役(「歩いても歩いても」)や
あろうことか総理大臣役(同じ阪本順治の「亡国のイージス」)さえあった。
原爆で死んで幽霊になって娘を見守る「父と暮らせば」は素晴らしかったが、
(娘に扮したのは宮沢りえで、可憐だった)
近年、原田芳雄らしい不敵な反逆精神が影を潜めてきたのは、
年齢的にやむを得ないのだろうが少々淋しくもあった。
それが、「大鹿村騒動記」では、
永遠の反逆者だった原田芳雄が年老いて牙が抜け落ちて、
しかし、それでもまだ丸くなったり枯れたりできない足掻き、
カッコイイかっこ悪さというか、かっこ悪いカッコよさを見せてくれた。
村歌舞伎の景清も盛んに見得を切るが、
ラストの空を仰いで「あれ?」と呟く原田さんのアップは、
最後まで「原田芳雄だった」男が死の間際にみせた最後の大見得である。

合掌。
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