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“果てしなき無責任” (「ETV特集」作者前口上)

明日(30日)夜放送のETV特集、
「果てしなき除染 〜南相馬市からの報告〜」が完成した。
がつんと手応えのある番組に仕上がったと自負しているし、
ぜひ見ていただきたいと思うのだが、
作った人間としては複雑な思いがあるのが正直なところだ。

番組では、
福島県南相馬市の
いまなお高い放射線量が検出されている地域で、
不安を抱えながら暮らしている人たちの姿を記録している。
取材者として、彼らの置かれた状況に心を痛め、怒りもする。
しかし、ぼくはそこに住んでいるわけではない。
言わば「逃げ場がある」のだ。
そして、取材すれば取材するほど、
この問題には「出口がない」ことが見えてくる。
明日への展望がないなか不安に囚われる人たちを描けば、
それは「不安を煽る」ことになるかもしれないと自問する。
しかし、やっぱり伝えるべきだと思い直す。

最近、放射能がもたらす健康被害よりも、
不安な精神状態が及ぼす被害の方が大きいという話を聞く。
たぶん、事実はそうなのだろう、と思う。
思いながらも、その不安をもたらしたのは誰だ、と考える。
著書「医療崩壊」で知られる小松秀樹先生が、
「100ミリシーベルト以下は安全」と発言した
福島県立医大の山下俊一氏を擁護した文章を読んだ。
山下発言の当否はともかく、
(もとよりぼくに疫学的に検討する力はない)
小松氏の発言には事実誤認があるように思う。

それは、世を覆う不安感の一因を、
南相馬市で活動する坪倉正治医師の言葉を借りながら、
「マスコミによる煽り」だとしたことだ。
…本当にそうか?
原発事故のあとマスコミは大袈裟に不安を煽ったのか?
記憶を呼び起こしてほしい、事実はまるで逆だったはずだ。
原発事故の後に専ら流布されたのは、
「安全だ」「ただちに健康に影響はない」と繰り返す、
政府による“大本営発表”ではなかっただろうか。
マスコミはその“大本営発表”を垂れ流したのではなかったか。
「ETV特集」の尊敬すべき同僚たちが
20kmラインに取り残された人たちの現実を伝えるまで、
ぼくたちは、現地で本当に何が起こっているかを、
ほとんど知らなかったはずである。

あの戦争の時代、
楽観的な大本営発表が繰り返されたにも拘らず、
少なからぬ日本人が
「この戦争は負ける」と気づいていたと聞く。
ましてやメディアが多様化の一途をたどっているいま、
「原発事故を起きたが、安全だ」などと誰が信じるのか。
事実、事態は政府の言明を遥かに超えてエスカレートした。
政府が「安全」を連呼すればするほど、
“逆・狼少年効果”で誰も信じなくなったはずである。
(ぼく自身も二日目には政府発表を一切信じなくなっていた。)
そして、その後の政府の対応も不信感を増幅するだけだった。
事故後に、
「年間1ミリシーベルト以下」だった一般人の被曝許容量を
一気に20ミリシーベルトに引き上げたなど、言語道断である。
20ミリシーベルトが科学的に妥当かどうかの話ではない。
事態を追認して規制値を変えたのでは信頼を失う。
一種の後出しジャンケンであり、
自分が負けそうになるとルールを変える駄々っ子の所業だ。
その政府が、
如何に「安全」を強弁したところで、誰も信じるわけがない。
つまり、いまや、
「政府がいっても信じてもらえない」のではなく、
「政府がいうからこそ信じられない」というのが現実である。
国民の不安心理が募るのは当然のことではないか。

山下氏はたぶん誠実な一種の学者バカだろうと推測するが、
結果として免罪符の役割を背負わせられているのではないか。
小松氏の発言もまた、
不安感の所以、つまりはコトの本質を取り違えていると思う。

最大の問題は、
原発の推進に当たってきた人たちの無責任である。
彼らが終始責任回避しようとしたことが事故処理を誤らせた。
問題を解き明かしていくためには、
番組にご出演いただいている児玉龍彦東大教授の
次の言葉に立ち戻るべきだと思う。
(この言葉は番組の中では使っていないのだが…)

「年間線量1ミリシーベルト以上の人は避難する権利がある。
国と東電はそれを保証する義務がある」

















誤解しないでいただきたいのだが、
児玉先生は、
「1ミリシーベルト以上は危険」だと言っているのではない。
危険であるか、ないかは、
住民自身の判断に任せるべきだというのである。
(当然、判断のためのセカンドオピニオンが求められる。)
例え科学的には「安全」である可能性が強いとしても、
不安を感じるなら「避難する権利」は認めよう。
この考え方は、暗黙のうちに、
住民が「原状回復を求める権利」を前提としている。
当然のことではないか。
自ら責なくして不安のどん底に落とされた人々が、
3.11以前に戻すよう求めることに何の無理があろう。

しかし、現実的には原状回復は難しい。
少なくともすぐには不可能だ。
そういう意味では、
取り返しのつかないことが起きてしまったのである。
であれば、国と東電は国民に謝罪するしかない。
ただ頭を下げればいい、というものではない。
「原発は安全だ、重大事故など起こり得ない」と言い募り、
原発を推進してきた人たちは責任をとって退場すべきだ。
政治家、経産省の幹部、学者、言論人…。
事後処理を誤った原子力安全委員会、
原子力安全・保安院の幹部は、当然、更迭すべきだろう。
そして、東電は、当然ながら破綻させるしかない。

起きてはならないことが起きたのに
「責任」を誰も取らないという現状は明らかに異常だ。
そして、原子力を推進してきた人たちの責任回避が、
放射能の影響はそれほどでもないのに
不安を抱く方が悪いと言わんばかりの論調となって、
きょうも現地の人たちを苦しめている。
ぼくはそこに怒りながら番組を作った。
だが、繰り返すが、ぼくには解決の道筋は見えていない。
「除染」は、ややもすればざるで水を掬うような話になる。
本当にもう一度この土地に住めるのか、
問い直さざるを得ないときが案外早くくるのではないか。



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