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ETV特集「除染と避難のはざまで」


きょうは鹿島綾乃アナウンサーでナレーションの収録。
ここまでくれば番組は「できたも同然」で、
明日、字幕を入れれば、それで完成ということになる。

去年の夏に仙台に転勤して以来、
ほとんど南相馬に通い詰めだったから、
当然、出来上がった番組には個人的な思いがこもっている。
政府や東電のやり方には、腸煮えくり返る思いもある。
だが、ぼくは何よりまず「報道者」なので、
アジビラの如き下品な番組にはしなかったつもりだ。

いま、政府は、
「年間20mSvは安全」を前提に政策を展開しつつある。
一方で児玉龍彦先生らは安全基準をもっと低く考えている。
ぼくは如何なる意味でも「科学者」ではないので、
安全論争に科学的な判定を下す力があるはずもない。
だから、その点についてはニュートラルである。
ただ云えることは、
例え20mSvが「安全」だったとしても、
それを甘受するよう求められる謂われはないということだ。
例え話で恐縮だが、
自分の庭にゴミを撒き散らかされて、
このゴミは安全だから我慢しろと云われる道理はない。
安全だろうが何だろうが
不愉快だからあんたの責任で撤去してくれというのは、
庭にゴミを撒き散らかされた人間にとって当然の権利だ。
それが世間の「常識」というものであり、
ぼくはその「常識」に依拠すべきだと考えた。

福島原発事故において、
「安全論争」に終始していたのでは本質を見誤る。
「常識」が「常識」として通用しないとすれば、
それは世の中が歪んでいるからだ。
ぼくは番組のなかで、
「もし原発事故が起きなければ」というナレーションを
前後3回にわたって繰り返した。
原発事故によって、
どれだけの人たちの人生が変えられてしまったことか。
起こってはならなかったことを引き起こした人々の責任は
決してないがしろにしてはならない。
報道に携わる人間が徒らにワケ知り顔をすることはない。
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