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日本人は何回騙されれば気がすむのか?

連休は日本海で潜ろうというので、
雨が降るなかを酒田行の高速バスに乗る。
酔狂といえば酔狂な話である。
ま、どうせ海に潜れば濡れるのだから、
雨が降っていようとあまり関係はないのだが…。
車中で、インターネットをチェックしていて、
「アベノミクスに騙されるな、デフレが日本を救う」
という面白い記事を見つけた。
経済誌のなかで最も信頼できる
「東洋経済オンライン」の記事で、
エコノミスト・増田悦佐氏のインタビューである。


ぼくはエコノミストだの経済学者だの
経済の「専門家」と称する人たちを信用していない。
彼らの思考のなかに
「経済活動が活発になるのはいいことだ」という
論証抜きの大前提があるのを感じるからだ。
ところが、現実には、
「経済活動が活発になること」が
生活者にとっては必ずしも利益にならない局面がある。
その点、
「緩やかなデフレが続いている日本ほどいい国はない」
と言い切る増田氏は、
見出しに謳う通りの「異色のエコノミスト」に違いない。

「インフレの世の中というのは、
 おカネを借りられるような信用力の高い人が、
 おカネを借りれば借りるほどトクをする。
 インフレが続けば、
 借りたおカネの価値はそれだけ下がり、
 負担が小さくなっていくからだ」

「インフレのときは、
 自由におカネが借りられるのは
 政府や一流企業、金融機関のほか、
 個人でいえば一部の金持ちに限られ、
 多くの庶民は自由におカネを借りられるわけではない。
 つまり、インフレというのは、
 一部の人たちと多くの庶民とで
 優劣が分かれてしまう社会をもたらすのだ」
 
こうした増田氏の指摘には全く同感である。
生活者の立場からすれば、これが「常識」だ。
その「常識」が全く顧みられない
昨今の風潮は狂っているとしか思えなかったので、
増田氏のインタビューを読んで
常識が通じる専門家もいるのだとちょっと安心をした。
「異色のエコノミスト」は
「生活者の立場で考えるエコノミスト」でもあるようだ。

ぼくがこれまで30年にわたる取材経験から、
読んでいただければ一目瞭然だが、
増田氏とほぼ同じ認識に立っている。
しかし、
この文章では1980年代以降のことに絞って書いた。
職業人として見てきたことだけを書こうとしたからだ。
しかし、1956年生まれのぼくは、
高度経済成長を子どもながらに知っている。
矛盾が一気に噴き出した1970年代には
中学から高校という
「モノを考える時期」を迎えていたから、
自分なりに高度経済成長を総括したりもした。
日本経済のいまにつながる問題点は
1960年代に起因していると思われるから、
きょうはそこを踏まえたアベノミクス批判を書きたい。

ぼくぐらいの年齢の人は記憶しているはずだが、
高度経済成長に湧いた1960年代は
同時に凄まじいインフレの時代でもあった。
はっきり記憶しているのは「たこ焼き」の値段で、
最初は一串に5ヶついて10円だったのが、
4ヶ10円に値上がりし、すぐに3ヶ10円になった。
一皿に10〜12ヶ載ったのが100円というところまで、
それほど時間がかからなかったように記憶する。
こちらは子どもだったから、
たこ焼きがなかなか買えなくなったぐらいですむが、
生活者である大人はそうはいかない。
ぼくの父親は
それなりの会社に勤めるサラリーマンだったが、
長男のぼくが生まれたとき、
将来の大学の入学金に充てようと積み立てを始めた。
若かったから当然安月給で、
そのなかから、かなり無理をして積み立てたという。
しかし、ぼくが実際に大学に入る頃には、
そのお金はインフレで「雀の涙」に変わっていた。
後にその話を聞いたとき、
ぼくは「そりゃ、損したなぁ…」と思っただけだった。
しかし、考えてみれば、この話は実に「構造的」だ。
うちの親父が泣いただけ、
同じように地道な暮らしを夢みて貯金をした人が
せっかくの貯金が大幅に目減りして泣かされただけ、
笑った者が確かにいたのである。
いうまでもなく、
巨額の銀行融資を受けて設備投資をした企業である。
増田氏が書くように、
インフレによって融資の返済はどんどん楽になり、
そうしてできた余力を
新たな投資に振り向けることができた。
その繰り返しで、
この時代、多くの企業が「高度成長」を実現した。
これは生活者(預金者)から
企業への「所得移転」に他ならない。
ぼくは「経済成長」を全否定するつもりはないが、
1960年代を通して、
生活者の生き血を吸うようにして多くの企業が発展し、
現在のグローバル企業化への道を拓いたのは
否定しようのない事実だと思う。

当時(1970年ごろ)、
よく「二重構造」という言葉が使われたものだ。
高度経済成長の陰で
都市と農村の格差が絶望的なまでに拡大しており、
矛盾がいたるところに噴き出していた。
その象徴が永山則夫の「連続射殺魔」事件で、
1968〜69年にかけて起きた事件の衝撃は
中学生になっていたぼくも鮮烈に記憶している。
後に大学生になって、
足立正生らが監督した
「略称・連続射殺魔」という記録映画をみた。
永山則夫がたどった道程にある風景を
ひたすらに撮影して構成した「風景映画」で、
ぼくは自分の存在を揺るがされるほどに打ちのめされた。
永山が生まれ育った津軽の僻村を始め、
19年のあいだ彼が生きてきた場所にある風景は、
まさに繁栄から置き去りにされた
高度経済成長の陰画(ネガ)に他ならなかった。

工業と農業ではそもそも生産性が違う。
経済原則に任せれば両者の格差は広がるばかりだ。
高度経済成長とは、
半ば自給自足的だった日本の農村生活を破壊し、
そのことによって安価で良質な労働力を都市に吸収、
成長を実現していく仕組みだった。
ぼくと同じ年配の人たちは、
「金の卵」と呼ばれた中学卒業者の集団就職や、
農村の男たちの「出稼ぎ」を記憶しているはずだ。
出稼ぎの建設労働者は経済成長の下積みとなり、
若者はおろか中年男たちさえいなくなった農村を、
詩人・草野比佐男は「村の女は眠れない」と歌った。

確認するが、
高度経済成長とは、
格差の拡大をバネに実現したものだった。
ぼくもその恩恵を受けているので全否定はしないが、
「きれいごと」ですまなかったのは確かである。
そして、そのときに生じた、
都市と農村、企業と生活者の矛盾が、
いまだに解消されず、むしろ拡大を続けながら、
日本社会の基底に存在し続けているのは間違いない。
それは前回のブログに
自分自身の取材経験に基づいて書いた通りである。
また一方で、
高度経済成長は公害を垂れ流し、
安全コストを無視することで成立した側面もある。
それは現在の福島原発事故の問題とも直結しており、
遅れて成長過程に入った
現在の中国のことを笑っている場合ではない。
余談になるが、
環境破壊をほしいままにした経済成長のみならず、
安かろう悪かろうの品質も、
恥も外聞もないパクリ商品の存在も、
いま中国経済をめぐって語られる問題の多くは
高度経済成長期前半の日本経済の特徴でもあった。
ぼくはそれを確かに記憶しているのである。

こうして日本社会の50年を振り返ってみれば、
アベノミクスなるインフレ誘導政策が、
歴史に学ばない愚かしいもの、
むしろ犯罪的なものであることは明らかだと思う。
経済成長の夢をみるのはいい加減に止めたらどうか。
1960年代であれば、
パイ全体が大きくなっていたから、
矛盾は矛盾として「豊かさの配当」はあった。
しかし、いまはそれは期待できない。
経済成長には
地球という星の環境的な限界があると指摘されて、
もう随分になると思うが、みんな忘れたのだろうか。
これから起きることは
地球規模のゼロサムゲームでしかない。
誰かが豊かになれば、
それだけ誰かが貧しくなるのだ。
そして、それは、
日本が勝つか、中国、はたまたアメリカが…
という国民国家レベルの話にはならない。
企業と経済活動はとうに国境を越えているから。

アベノミクスによって誰が利益を得、
誰がさらなる貧しさに突き落とされるのか、
偉そうなようだが、ぼくには結論は見えている。
今度の参院選は
自民党の圧勝というのが下馬評だが、
日本人は何回騙されれば気がすむのだろうか?

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