現代日本語では、政治・思想から専門技術、小説や詩歌などの芸術分野まで、自由に表現することができますが、これは明治期に膨大な量の翻訳語が作られ、政府が制定した標準語の普及に努力したから。例えばベースボールを「野球」と訳したのは俳人の正岡子規。「投手」「捕手」「打者」「盗塁」「安打」「本塁打」などなど、子供の頃から深く考えずに使ってる言葉ですが、全部英語から訳したのですから、英語の読解力と日本語(漢語?)のセンスはすごいですね。
さて、フィリピンの場合もスペインから独立するまでは、似たような状況でした。母語として使われる言語は85〜87もあって、その相互が意思疎通が困難なほど違っている。主要なものだけでも、タガログ・セブアノ・ヒリガイノン(イロンゴ=家内の母語)・ボホラノ・ワライ・ビコール・イロカノ・パンパンガの八つ。1930年代に公用語の問題が大論争になったそうです。(という議論は何語でしたんでしょうね? 多分スペイン語か英語?)
結局1937年、時の大統領ケソンが、首都周辺の言語であるタガログ語を国語の基礎として採択するという宣言を行いました。1955年になって「国語の父 ケソン大統領」の誕生日に由来する8月13日〜19日が「国語週間」(National Language Week)になったそうです。今でも週の最終日には、全国の学校で子供達がフィリピンの伝統衣装を着て登校することが奨励され、昨日はフィリピン国籍を持つ私の息子は、独立を賭けてスペインと戦った兵士「カティプーナン」も着用していたという、当時の服装をして出かけました。
それにしても、日本と違うなぁと思うのは、タガログ語を基礎とするフィリピノ語が公用語として採用された後も、各地の母語・方言がそのまま残されたこと。ただ残ってるだけではなく、最近では「マザー・タング」として小学校できちんと教えています。母語への誇りも高く、人口比で言うと最大勢力のセブアノが、なぜ公用語にならなかったのか?といまだに不平を言う人もいるほどです。
下校時はまるで子供達のファッションショー
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