大統領就任時のコラソン・アキノ氏
今日2月25日は、30回目のエドサ革命記念日。フィリピン全土での祝日で、学校も会社もお休み。エドサ革命、一般には「ピープル・パワー革命」と呼ばれています。1986年、20年も独裁政権を維持していたマルコス大統領が、文字通りの市民100万人のデモを逃れてアメリカに亡命。1983年に暗殺されたマルコスの政敵ベニグノ・アキノ上院議員の意思を継いだ、妻コラソン・アキノ氏がこの2月25日、新大統領に就任しました。
「革命」と呼ばれるに十分過ぎるほど劇的な一連の政変ですが、実はほぼ無血で成し遂げられたエドサ革命。事の発端になったベニグノ・アキノ氏の暗殺を除くと、亡くなったのはデモ行進の真っ最中、マニラ湾に面するリサール公園に集まり、登った木から転落して事故死した人だけだったそうです。
軍や警察ですら、マルコス陣営を見限っていただけとも言えますが、やはりこれだけの改革を最小限の犠牲者数で、しかも一般市民の団結で勝ち取ったことは、フィリピンが他国に誇れる歴史だと思います。「外圧」がないとなかなか政権が変わらない、近代以降の日本史を省みるに、これは見習うべきでしょう。
1986年、私は社会人1年目。まだ自分がフィリピンに業務出張するなどとは夢にも思わず、毎日上司に怒鳴られる日々を過ごしていました。もちろんテレビのニュースでは、連日の報道が続いていたので、大筋の話は知ってたものの、マルコス亡命の後はすっかり革命騒ぎも忘却の彼方。
ところが当時デモに参加していた、二十歳のフィリピン大学の女子学生が、その12年後に私の妻に。結婚の後、この話を家内から聞いてから、エドサ革命記念日は私にとっても特別な日になりました。
ちょうどマルコスが大統領に選ばれた、1965年に生まれた家内。革命があるまで、ずっとマルコス独裁しか知らずに育ったわけです。私には想像するのも難しい戒厳令下の時代を生き、相当な息苦しさだったんでしょうね。日本に住んでいた頃、偶然NHKで放送されていた、アキノ氏の暗殺直前の最後のインタビュー映像を見て、涙を流したものです。
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