仙台はいうまでもなく東日本大震災の被災地で、
ぼくは前線基地で何年かのあいだ復興の記録に専念することになるだろう。
3.11…津波が家や田畑を呑み込んでいく衝撃的な映像を見ながら、
ぼくはこの震災で日本は大きく変わらざるを得ないと直観していた。
そして、定年まであと5年に迫ったぼくのテレビ屋としてのキャリアも…。
定年までどんな番組を作って過ごすのか、
漠としたものではあったがイメージがあった。
しかし、未曾有の災害で、それはすべてリセットせざるを得ない。
「地域」の行く末を見つめることを自分の仕事としてきた以上、
残りのキャリアを被災地の復興を見守ることに費やすしかないと覚悟をした。
だから、仙台に赴くことになったのもある種の“必然”だったと思っている。
非常事態に身を置くことになるのだから、
もっと若いときであれば…という思いもなくはない。
だが、自分の30年のキャリアを投じて悔いない“最後の任務”であるとも思う。
まだ東京で抱えている仕事があるので(やはり東北の被災地の話)、
実際に仙台に赴くのは8月になりそうだ。
写真は、本文と関係ないが、意外に長持ちしている我が家の胡蝶蘭。
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