明日の夜、ぼくの最新作「ETV特集 帰還への遠い道」が放送される。
福島県楢葉町の避難指示解除(9月5日)に至る過程を追ったもので、
2月に放送した「ETV特集 住民帰還」の続編である。
福島県双葉郡楢葉町
避難指示解除を祝うキャンドルナイト(9月4日夜)
9月5日午前0時をもって楢葉への住民帰還が始まった
おととい番組を完成させて、いまは都内の病院に入院をしている。
去年の暮れ、大腸癌の再発が見つかり、
二週間に三日、抗がん治療のため入院を続けているのである。
幸い副作用は少なく(指先に軽い痺れがあるが、髪の毛も健在だ)、
従来通りのペースで仕事を続けることができている。
スケジュールをある程度自分で管理できる職種だから可能なことだが、
今年になって放送した番組はこれで5本目、
放送時間にすればおよそ4時間半になるので、
これまで以上にハイペースで量産していると言えるかもしれない。
プロデューサーやスタッフ、
同僚たちの理解と協力があればこそで口には出さないが感謝している。
さて、今回の番組は、
原発事故で全住民が避難した自治体のなかで
最も早く避難解除となる楢葉町を一年にわたって追うことで、
福島復興の行方を占おうというものだ。
結論から言ってしまえば、
避難指示が解除されても実際に町に帰った住民は1割にも充たない。
今後少しずつは増えるだろうが、
楢葉町が事故前の姿を取り戻せるかについてはかなり厳しい。
実際、ぼくたちが去年から取材してきた人たちの多くが、
帰る準備を進めていた人も含め、
「当面は楢葉に戻らない」という決断に至った。
主人公格の宝鏡寺住職・早川篤雄さん(75)にしても、
1年前は「早く戻って復興の“人柱”になりたい」と語っていたのが、
その言葉通り、いち早く戻りはしたものの、
周囲の人たちに帰還を勧める気持ちを失っている。
ぼくたちは期せずして「絶望への過程」を記録してしまったとも言える。
ドキュメンタリーは「ニュース解説」ではない。
ぼくはぼくなりになぜこういう事態に至ったかの判断はあり、
現場を見つめ続けてきた者としてその“読み解き”には自信もあるが、
番組上、それを「言葉で語る」ことはしていない。
見てくださる方は、
ぼくが映像として提示した「事実の断片」をもとに、
何が起こっているのかをご自分で判断してくださればいいと思っている。
作り手にもいろんな考え方があるだろうが、
そういう点では、ぼくはかなり抑制的なタイプである。
ただ、このブログを通して一定の補助線を引いておくつもりで、
そういう意味ではDVDの特典映像のようなもの(笑)。
映像では語りきれない背景の説明として参考にしていただくのも自由、
もちろんハナから無視するのも自由…
番組には人それぞれの見方と楽しみ方があっていい。
ぼくの見るところでは、この春から政府の姿勢が変わっている。
従来に増して、避難指示の解除を急ごうとする立場が露骨になった。
もともと楢葉町の松本幸英町長は、
この春に町として住民帰還の時期を明らかにしたいと言明していた。
それに対して国は、
機先を制するように4月から帰還のための準備宿泊を開始し、
準備宿泊期間(7月までの3ヶ月とされた)のあいだに
避難指示解除の時期を決めるとした。
避難指示解除の時期を決めるのはもともと国の権限である。
結局、松本町長は、
帰還の時期についての地元の見解を表明することのないまま、
9月5日の避難指示解除を迎えたのである。
ぼくの目には「国に押し切られた」ように見えた。
こうした政府の姿勢の背景に何があるのか。
2020年に迫った東京オリンピックだというのがぼくのヨミだ。
政府は楢葉町のみならず、
2018年3月までに
一部の帰還困難区域を除く全域を避難指示解除に持ち込むとしている。
避難指示が解除されれば、
住民が実際に帰還するか否かに拘わらず、
福島第一原発事故は形の上で「収束」を迎えたことになる。
東京オリンピックまでに
なんとか原発事故の異常事態を解消したいというのが
いまや政府の復興政策の前提であり、至上命題であるように見える。
もうひとつは東京電力の補償問題にカタをつけたいということだろう。
実質的には経営破綻している東電に
国は除染費用や住民に対する補償金など不足する資金を流し続けている。
どこかで歯止めをかけなければ、という思いは当然あるはずだ。
住民の帰還を2018年と決め、
避難に伴う精神的慰謝料(一人月10万円)をその時点で打ち切ることで、
底なしに見える原発事故の“コスト”を確定したいということだろう。
しかし、こうした政府の姿勢からは、
原発事故の最大の被害者である地域住民への配慮が抜け落ちている。
もっといえば、一種の「棄民政策」であるようにさえぼくには思える。
楢葉町についていえば、
確かに政府のいうように放射線量はかなりの程度低くなっている。
今年の3月の時点で放射線量は町平均で0.3μSv/h。
この数字は政府が除染の長期目標としている0.23μSvを僅かに上回るが、
健康に顕著な影響を与えるとは考えにくい数字である。
ぼくらのスタッフは毎日の放射線量(推定被ばく量)を計測しているが、
夜はいわき市のホテルで眠るとはいえ、
日中の大半を楢葉で、それも屋外で過ごしていて毎日2μSv以下である。
この数字は、
放射線防護学者の安斎育郎さんが自ら累積線量計をつけることで計測した
(氏が暮らしている)京都での被ばく量と変わらないのである。
京都が日本一自然放射線量が高い地域だというわけではないので、
一部の高線量地域を除く福島の放射線量は
日本各地の地域差の範囲にほぼ収まっているといってもいいのではないか。
しかし、だからといって住民の不安が一掃されるわけではない。
山林など住民の「生活環境」ではないとされた場所は手つかずだし、
そもそも計測しなければ安心できないという事態そのものが異常である。
さらにいまだ収束の目処が立たない福島第一原発、
廃炉が決まらない福島第二原発の存在も不安の影を投げかけている。
帰還に不安を感じる住民を「非科学的」と謗るのは当たらないだろう。
そして、住民が戻らない理由は放射能に対する不安だけではない。
4年を超える避難生活のあいだに
就職したり、子どもたちが進学したりするなどして、
それぞれ新しい土地での生活の基盤ができたことも大きい。
当然、戻りにくくなる。
まだ先の長い若い世代ほど、戻りにくくなっている。
また、戻ってみたところで、医療機関や福祉施設は不充分で、
日常の買物ができる商店も不足している。
満足な買物ができなければ住民は戻れないし、
多くの住民が戻らなければ商店は経営が成り立たない。
卵が先か、鶏が先かというにも似たジレンマである。
さらに、何十年も一緒に過ごしてきた隣近所にも戻らない人が多く、
地域は櫛の歯が抜けたような状態になってしまっている。
待っているのは、寂しく、また治安上の不安もつきまとう暮らしである。
つまり、原発事故は、何百年も続いてきた共同体そのものを破壊した。
現状では、放射線の問題以上に、
これまでの生活が破壊されたという被害が大きいのではないか。
例え放射線量が充分に下がったとしても、
「原発事故は取り返しがつかない」というのが、
取材を終えてのぼくの結論である。
そして、こうした福島の現実は、
それ以外の地域の人たちの目からはなかなか見えづらくなってきている。
「風化」というか、社会から忘れ去られてしまった感もある。
ぼくの生業の場であるテレビに引きつけていうなら、
視聴者には暗い現実から目を背けたい気持ちもあるだろうし、
「飽きられた」ということもあるだろう。
「震災ネタ」は視聴率がとれないというのが
いまやNHKを含めたテレビ界の“常識”である。
しかし、それでも…だからこそ、
福島を見つめ続けなければならないとぼくは思っている。
もともと大向こうを唸らせるような見栄えのする番組は作らないが、
今回は、いつに増して、淡々とした地味な番組になった。
視聴率も評価も求めないが、やり続けることに意味があると信じている。
ぜひ、ご覧ください。
ETV特集
帰還への遠い道〜福島・楢葉 一年の記録〜
9月19日(土)午後11時〜 Eテレ
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