以前に掲載した記事の再アップです
小乗仏教(上座部)では、悟った人は、もう輪廻を繰り返さないという思想があります
この世そのものが苦しみの世界であり、生まれ変わらなくなることを願っていたという当時の人々の考えが反映したものと思います
ですが、大乗仏教の興ってからは、別な考えが生まれてきます
優れた魂というのは輪廻から解脱するが(つまりこの世に生まれ変わらなくても良くなる)、人々への救済のために、自らの意思によって再び地上へと降りられることがあるという考えです
考えてみたらお釈迦様など、それ以前の転生においては(つまり前世では)、悟っておられない普通の人だったというのは到底考えられないと思えます
お釈迦様やイエス様など、おそらく個人的なカルマのために転生されているということはすでに無いと思います
こうした方々は、すでに悟られておられたのを、人々のために、教えを説くために地上に出てこられた魂でしょう
そういうことでは、大乗仏教的な思想のほうが真実に近いかと思えます
個人的なカルマといいますか、課題を克服するための輪廻というのは卒業していますが、次には人々を導くために生まれ変わってくるというのがあるはずです
お釈迦様やイエス様には及びませんが、このブログでも書きましたように、宇宙からの転生でも似たような状況というのがあります
ひとつには、元来た星での修行が不十分なところがあるため、それを修正するために、いわば荒行的な厳しい環境の地球へと転生し、課題を克服したら、元来た星に帰る約束である魂の一群がいらっしゃいます
そうしたかたは、地球での転生を卒業していくことを喜びといいますか、ねがっているわけですから、小乗仏教的な考えに近いと思います
また、それらとは別にして「宇宙の兄弟たちへ4」という記事でも述べられていますように、この地球の進歩に役立つようにや、愛と光を届けられるようにと、願い出て生まれ合わせた魂たちもいらっしゃいます
そうした方々は、まさに地球へと生まれて来てくれたこと事態が、人々への愛であり、慈悲なのだと思います
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