30日放送の「ETV特集」、
「果てしなき除染 ~南相馬市からの報告~」の編集が仕上がった。
きょう二度目の試写でプロデューサーのOKをもらえたのである。
いつもより短い編集期間で、そのうえ途中二泊の南相馬取材を入れながら、
なお当初の編集期間を二日残してできあがったのだから上出来だ。
今回は59分番組だが、
先日、東北ローカルで放送した
「国を待ってはいられない」(25分)が原型となっている。
ゼロから構築していく必要がないだけ仕事が楽だったのは間違いない。
しかし、いくら番組を作っても、
放射能汚染をめぐる矛盾が何ひとつ解決しないのはもちろん、
どんどん拡大していく一方なのはいささか気が滅入る。
住民が安心して暮らしていくためには、
(あるいは避難している住民…特に子供たちが戻ってくるためには)
徹底した周辺環境の除染が必要だが、
高圧洗浄程度では期待するほどの効果が上がらないことが、
だんだん明らかになってきているのである。
特に山沿いの地域、屋敷林のある家などでは、
洗っても洗っても木々から飛んできた放射性物質で元の木阿弥になる。
まるでざるで水を汲むようなことになりかねないのである。
にも拘らず、数兆円規模の資金が投入される「除染」は、
ゼネコンなどの企業にとっては新たなビジネスチャンスであり、
巨大公共事業として旧来の利権構造に組み込まれかねない側面がある。
(ぼくはこれで遠慮して書いているのだが…)
何が一番住民にとって利益になるのか充分検証されないまま、
本当に効果的かどうかも判らない「除染」という既成事実だけが
どんどん推し進められていく可能性が出てきているのだ。
ダムや、それこそ原発の建設が止まらなかったのと同じ構造である。
我がニッポン国はこの期に及んでまだ変われないのかと、
ほとほとうんざりしてしまう。
昨日、「国を待ってはいられない」を見てくださった視聴者の方が、
「いたずらに恐怖を煽っているのではないか」と抗議してこられ、
電話で一時間以上議論を戦わせることになった。
相手は福島県にお住まいの方で、
「自分たちはこれからもここに住まなければならない。
それなのになぜ、わざわざ不安をかき立てるような報道をするのか」
という趣旨のことをおっしゃる。
大変よく勉強されている72歳の男性で、
本を読んだり識者の講演会を聞きに行ったりして、
「セシウムの健康被害はない」という情報を丹念に集めておられる。
その思いをどうやらぼくの番組は逆撫でしてしまったようである。
議論は最後まで平行線だったが、
ぼくはこの方の気持がよく解るし、批難する気持ちにはなれない。
「自分たちにはどうしようもないのだから、せめて安心させてほしい」
という思いは痛いほど伝わってくる。
かといって、現地を知悉しているぼくには“大本営発表”はできない。
ことさら恐怖を煽るつもりなどないが、
いたたまれない不安のなかで毎日を送っている人たちの現実を
きちんと伝えなければと思っている。
その人たちに対して、
「大丈夫、安心だよ」といえる材料をぼくは持っていないのである。
放送まで、あと一週間。
明日は一日休んで、
月曜日から台本を書き、
ナレーション原稿を推敲する。
局内に掲示する
ポスターの〆切をすっかり失念していて、
大慌てでデザインしたのがこれ。
黒地に赤はぼくの好みで、いまやトレードマークのようなものだが、
焦って書いたので「放射性物質」が「放射線物質」になっているのはご愛嬌である。
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