東京大学先端科学技術研究センターの児玉龍彦教授が、先月の25日、
国の「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」に出席され、低線量被ばくのリスクをどう考えるべきかについて所見を述べられた。
この会議の様子が
岩上安身氏らによってUSTREAMで中継されていたので視聴をした。
ワーキンググループのメンバーである学者たちと児玉先生とのあいだで
かなり激しい議論になっていて、スリリングである。
ワーキンググループの学者たち、
特に放射線医学総合研究所の丹羽太貫氏(京大名誉教授)とは、
感情的とさえ思える激しい言葉の応酬を行なっている。
丹羽氏の主張は、
チェルノブイリで被ばくをした人たちのあいだに
セシウムによる癌発生の有意な増加は認められないというもので、
従って放射性ヨウ素による小児の甲状腺癌を除けば
低線量の被ばくはそれほど心配するには及ばないというのが結論である。
ワーキンググループの中心(共同主査)となっている
長瀧重信、前川和彦の両先生も基本的に同じ見解のようだ。
それに対して、児玉氏は、
低線量被ばく下におけるDNAの損傷を問題にする。
低線量の場合はDNAの損傷があっても修復されるという従来説に対して、
染色体の異常修復が起り、それが将来の癌の原因になる可能性があるという。
専門用語が飛び交う激しい論争で門外漢にはつらいところがあるが、
ぼくは児玉先生から何度か説明を受けているので、
かろうじて議論についていくことができた。
両者の応酬を聞くうちに、
一見激しい論争にみえるが、実は全く噛み合っていないことに気がつく。
丹羽氏らがチェルノブイリでの疫学調査の「結果」を語っているのに対し、
児玉氏が重視しているのはゲノム科学の観点からみた癌の「原因」だからだ。
児玉氏の主張を一言で云えば、
低線量でもDNAの損傷が起きることは確かなので、
将来の癌発生のリスクを考え
できるだけ放射線量を低減するに越したことはないということに尽きるだろう。
実際に癌が発生するかどうかは氏にも「わからない」のである。
それに対して丹羽氏らは
癌の発生が現実に確認されたかどうかのエビデンスにこだわる。
単純化すれば「癌の発生が増えていない以上は安全」という立場である。
…これは学術的な論争のように見えて実は「論争」ではない。
論理はすれ違いに終始しており、
本質的には、現実に対するポジションの取り方の相違である。
誤解してほしくないが、ぼくは丹羽氏らを「御用学者」と決めつける気はない。
そうしたレッテル貼りは百害あって一利なしだと考えている。
ただそこはかとなく感じられたのは、
新しい研究や学問分野の台頭によって
自分の過去の業績が否定されるかのように感じる人たちが持つ不快感である。
児玉氏には丹羽氏らの業績を否定する意図はなかっただろう。
しかし、ワーキンググループを構成する学者たちは、
異論を、それも違うフィールドの研究者から差し挟まれることに対して、
面白くなさ、もっと云えば「容認し難い」という思いを抱いたのではないか。
丹羽氏の感情的とも思える反論ぶりをみているとそう思えてならない。
そのあたりの対立の構図を最もよく理解していたのは、
他ならぬこの会議の主催者、細野豪志原発担当大臣(環境相)だと思う。
細野氏は錯綜してヒートする議論を鮮やかに交通整理したうえで、
児玉氏の「理論」(低線量放射線によるDNA損傷)に対する反論を問うた。
丹羽氏からそれまでの議論の繰り返しでしかない、
いささかピントの外れた「反論」があっただけで他に声はなかった。
「ゲノム科学」という分野に対して発言できる人がいなかったのだろう。
繰り返しいうが、
ぼくは児玉氏が「住民側に立つ正しい学者」で
丹羽氏らは「御用学者」だと断定するつもりなどない。
児玉氏が正しく、丹羽氏らの論理が誤っていると云いたいのでもない。
学問としてのアプローチがまるで違い、
結果として原発事故という現実に対してとる立場が相反するのである。
この日の「論争」を通して明らかになったことは
疫学調査の「結果」を基に「低線量被ばくは安心」とする政策を続けるのか、
ゲノム科学が解明した「原因」を重視してより予防的な政策に舵を切るのか、
その決断が迫られているということだ。
第一義的には、原発問題を所管する細野大臣の政策判断が問われる。
明晰な細野氏はことの本質を的確に理解したように見えた。
政治には絶望しているぼくだが、彼の行動力に少しだけ期待をしてみたい。
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