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そして、いぐねは伐り倒された

きのう南相馬のMさんから突然電話をもらった。
明日(つまり、今日)、いぐねを伐るというのである。
「いぐね」とは家を囲む屋敷森(防風林)のことで、
阿武隈おろしの風が吹き荒れるこの地方特有の景観である。

大慌てでロケを準備し、南相馬に走った。
急なことでありカメラマンは何とか確保できたが、
音声マンは手配できず、
ぼくがゼンハイザー(指向性の強いマイク)を持った。
とてもスチールを撮る余裕などないだろうと考え、
愛用のカメラを持って行っていなかったので、
以下に掲げるのはすべてiPhoneで撮った写真である。


上の写真は、
いぐねの左側半分が既に伐採されたMさんのお宅。
木がなくなって母屋が見えているのが判る。
この角度からは、以前は杉木立しか見えなかった。

いぐねは代々家を守ってきたものであり、
長い年月をかけて木を育ててきた
M家の人々の思いが込められている。
Mさんもできれば残したいと考えていた。
だが、福島原発事故で降り注いだ放射性物質は、
杉の葉や樹皮に付着して、
自宅周辺の線量が下がらない要因となっている。
Mさんの家でも線量計を上に向けた方が線量が高くなる。
屋根に放射性物質が付いている証拠で、
屋根を洗っても
杉の木から放射性物質が落ちてくるので、
結局は元の木阿弥になるとMさんは考えていた。
家の裏(いぐねのある側)で測ると、
いまでも放射線量は1μSv/hを超える。
小学生の子ども3人の父親であるMさんにとっては、
背に腹は代えられず、愛着のあるいぐねを伐ることにした。


Mさんの家では春に庭の柿の木を伐り倒している。
5月に放送したETV特集で、
その場面をラストシーンに使わせてもらった。
そのときから、
Mさんはいぐねも伐るつもりだと話していた。

木を伐り倒す光景はいつ見ても痛ましいものだ。
人間の人生より長い、
何十年、何百年かけて育ってきた木が
わずか数分のうちに伐り倒されてしまう。
福島原発事故は
数十年にわたる一族の歴史、
家族の営みを一瞬にして奪ってしまったことになる。


Mさんは木を伐採する補償を
原因を作った東京電力に求めようとした。
何十回も電話をしたが埒が明かなかったという。
東電としては、
政府が除染の手段として木の伐採を認めていないので、
補償はできないという理屈らしい。
確かに環境省の除染マニュアルでは、
年間放射線量が20mSv以下の地域においては
森林の除染は枝打ちと下草・腐葉土の除去のみで、
木の伐採は不必要だとしている。
年間20mSv以下であれば
健康被害は極めて小さいというのが政府の立場で、
ぼくの見るところ、
20mSv以下の地域においては
除染費用を出し惜しむ傾向が顕著になってきている。
Mさんが住む深野地区は20mSv以下なので、
費用をかけて木を伐る意味はないというのだろう。

政府当局に見えていない、
あるいは見えないふりをしていることは、
いくら20mSvは安全だと強調してみたところで
住民は決して信用しないという現実だ。
考えてみれば当たり前の話で、
原発の「安全神話」を散々振りまいた挙句、
いざ(起きないはずの)事故が起きてみれば、
今度は「ただちに健康に影響はない」と繰り返すのみ。
事故の収束もおぼつかない時点で
「低線量被ばくは安全」とキャンペーンを始めたのでは、
そもそも信用などされるはずがないではないか。

空間線量を原発事故以前の基準である年間1mSvに
限りなく近づけていく努力をしない限り、
住民は安心できないし、
避難している人たちが帰ってくることもない。
その単純明快な事実に政府は目を瞑って、
実態と遊離した「除染ガイドライン」をふりかざす。
現地の自治体は住民の不安と向きあわざるを得ないから、
「除染ガイドライン」が認める以上の除染をしたい。
当然、国(環境省)と自治体との対立は激化する一方だ。
その結果、
それでなくても遅れている除染がさらに遅れ、
待ってはいられない住民は
自力で(自分で費用を出して)いぐねを伐り倒し、
あるいは屋根を葺き替えるなどして「自衛」を図る。
結局、ツケは末端の現場に押しつけられるのだ。

この国で見慣れた、しかし、やり切れない構図である。






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