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人間50年以上も生きていると「この方がいなかったら、今の自分はないだろう」という人がいると思います。神さまと両親はちょっと別格としても、私も何人か(何十人か?)の人生の恩人というべき人たちが。その中でも、フィリピンでの生活がようやく落ち着いてきた今になって、しきりと思い出されるのが西本至(とおる)神父さまのこと。

フィリピン人の家内との結婚を数日後に控えていた1998年。とても煩雑な手続きや書類の準備、翻訳などを何とか家内と二人でやっつけて、ようやくゴール寸前という時に、挙式予定のフィリピンの教会から物言いがつきました。カトリック教会では「離婚」は認められていないのに、洗礼証明書(しかもフィリピンでの洗礼)を持っている私がバツイチ。これを見咎められた。

どうしてこうなったかと言うと、最初の結婚が破綻した後にカトリック教会との出会いがあったから。洗礼の時にはそれも含めて、嫌というほど懺悔をしました。ところが神さまは、そう簡単には許してくれなかったようです。フィリピンの教会からの指示は「マニラのファーザー西本のところへ行け」。

そんな話、どこからも聞いたことないし、行ってどうなるのかさっぱり分からず、仕方なく教えてもらった西本神父さまのオフィスの番号に日本から国際電話をかけました。意外なほどスムーズに取り次いでもらって電話口に出た西本神父さま。こちらの不安を根こそぎ吹き飛ばすほどの快活明朗さで、「事情は分かりました。すぐに私の事務所に来なさい!」と返事されました。

その時まで全然知らなかったんですが、西本神父さまは、当時すでにフィリピンの日本人社会では伝説的な名士で、困窮日本人を助けたり、私たちのような日比の国際結婚で困っている人たちの面倒を見たりして、日本人からもフィリピン人からも絶大な尊敬を受けている方なのでした。

家内と二人、神妙な面持ちで訪れたマニラの下町にある西本神父さまのオフィス。電話での口調そのままに、底抜けに明るく私たちを迎えていただきました。私の洗礼証明書を見て、あっという間に書類をしたため、封をした便箋に入れて「即日交付」。その後いろんな話をしましたが、印象に残っているのは「フィリピン社会でカトリックの洗礼証明書があるのはとても有利なこと。こういう言い方すると語弊があるけど、大いに利用されたらいいですよ。」

なんと豪快な神父さま。神の愛を人生の現場で実践してます!という感じで、経験に裏打ちされた強い信念を垣間見た思いです。お陰さまで、ファーザー西本からの手紙は実に霊験あらたかで、結婚式は滞りなく終了。

こんなに世話になってたくせに、その後17年も忘れていた恩知らずな私。気がついてネットで調べたら、もう5年も前に天国へ行ってしまわれていました。ホゾを噛むとはこのことで、その後何回もマニラに行っているのに一度も挨拶しなかった...どころか思い出しもしなかったとは。次にマニラに行く機会があれば、必ずお墓参りをしなければ。




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