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神様が人間に与えた最大の幸せとは?


以前に書きました記事を再アップいたします

人は神の姿に似せて創造されたと言われています

その最大の理由は、人間が持つ自由度の高さではないかと思います




神は思いのままに世界を創造されたといわれますが、人は同じく創造の自由と行動の自由を持ち、様々なものを作り出し、行動しています

この自由こそ人にとって最大の幸せであろうと思えます

国家によっては、個人の自由を抑圧する社会を作り出しておりますが、それは人間に与えられた最大の幸せを奪うことに繋がるものでしょう

かつての時代であれば、身分制度が確立され、武士の家系に生まれれば、子は武士になりますし、農家に生まれれば、子は農家を継ぐしか選択肢がありませんでした

また、結婚相手を決められたり、交友関係も、同じ身分でなければならない時代もありました

そうした過去の歴史から見ると、現代の日本人は大きな自由を手にしていると言えます

しかし、ひとはすでに手にしている幸せには目が行かず、足らざるもののみに目が向かうため、現在の置かれている立場が、どれほど有り難いか、その感謝を忘れがちではないでしょうか

自由と対極にあるものとして、平等という概念があります

人々が平等に暮らし、誰もその輪からはみ出さず、突出しているものも、落ちこぼれるものもない社会です

それは一見理想的に見えますが、社会全体で適応させようとすると、個人の自由を抑圧する社会となってしまいます

弱者救済とか平等な社会というスローガンは聞こえはよいですが、それが結果的に個人の自由を抑圧する方向へ進んでいかないかを注意しなくてはいけません

かつてのベルリンの壁の崩壊や、中東で興ったアラブの春も、人々が自由を求め、自由こそ人の幸せの根幹であることを示しているのでしょう

自由と言うのもそのように尊いものですが、各自が自由に行動していくにつれ他の人との衝突というのがおこります

利害の不一致とも言えます

そこで社会では、一定のルールを作って、この範囲では人は自由に行動してよいのだと決めているわけです

集団で生きる人間同士が、お互いに相手を害さないで生きるための約束です

それが法律であったり、慣習であったります

自由にはその結果に対する責任がともなうのです

人はどうしても自分勝手な判断をしがちであるため、時には人を傷つけ、害してしまうことがあります

そうした時に、自らを省みて、悔い改めていく必要があります

人は自由に行動して、自由に物事を考えるのですが、その時に、人を害する思いや行為をなしたときには、軌道修正をしていく必要が出てくるのです

人は自由を与えられたと同時に、悔い改め、反省して、自らの軌道修正を要求された存在でもあります

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