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フジコ・ヘミングさんについて



アンケートで質問がありましたフジコ・ヘミングさんについて取り上げてみます

彼女は日本とヨーロッパで活躍されるピアニストで、父親がロシア系スウェーデン人で母親が日本人(ピアニストの大月投網子)です



フジコさんは幼い頃より母親より厳しくピアノを教わり、ドイツにピアノ留学をされます

父親は家族を置いてスウェーデンに帰国してしまっていたため、大変貧しい環境で勉強されたそうです

毎日、ジャガイモとにんじんにカレー粉を入れたスープを飲み

食べるものが無くなると、一週間砂糖水だけで過ごした日もあったと言います

そんなつらく貧しい日々を送ってていたフジコに、ある日チャンスが来ます

世界的な音楽家であるパーンスタインなけなしのお金でチケットを買い演奏会へ行き、
そしてバーンスタインへ自分の写真と手紙も送ります

フジコさんは演奏会の後に、バーンスタインの楽屋を訪ねます

彼はフジコの手紙を読んでいて、その場で「ピアノを弾きなさい」と言われた

フジコさんは無我夢中でリストの「ラ・カンパネラ」や「愛の夢」を弾きます

すると、聴き終わったバーンスタインが彼女を抱き寄せ抱擁します

「神様が微笑んだ。」このとき、彼女はそう思ったそうです

 ウィーンの街角にはフジコのリサイタルのポスターが貼られました

 「とうとう夢が叶う。
苦しくても前を見つめて頑張ってきたからだ。

どんなことも、あきらめなければ
必ず道は開けてくる。」

彼女はようやくつかんだ希望に胸を膨らませていました


リサイタルの1週間前に、貧しくて暖房もない寒い部屋で暮らしていたフジコは風邪をひいてしまいます

以前に中耳炎で右耳の聴力を失っていた彼女ですが、風邪で再発してしまいます

慌てて大学病院に駆け込んだが、お金も健康保険もなく

フジコさんは左耳の聴力も失ってしまいます

音楽家として大切な両耳の聴力がこの時失われてしまったのです


ようやく夢が叶うとはりきっていたリサイタルは中止となります

彼女は毎日、泣いて過ごしたといいます


フジコさんはストックホルムに移住して耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得て、以後はピアノ教師をしながら欧州各地でコンサート活動を続けていました

現在、左耳は40%回復しているそうです

母親が亡くなられてから、日本に帰国して活動されていました

彼女の壮絶な人生をNHKが「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」として番組を放送し、そこから大ブレイクします

彼女の演奏は正確さには欠けるようですが、聴く者の魂を揺さぶる「魂のピアニスト」と呼ばれます

彼女の人生は、様々な障害や苦難にあっても、自分の人生に向かい続けていると、道は開かれると人々に示しているようです

フジコさんを拝見していると、修道女をされていた前世があるように感じます

昨日の記事でも書きましたように、禁欲的な生活をされていたようですね

その当時に、難病の方の世話などをされていたのですが、ご自身も移られたかで、ご病気をされて、すこし隔離されたような場所で療養されています

あまり人と接触できない状況で、前世の彼女を慰めてくれたのが猫たちだったようです

現在でも動物愛護家としても知られるのも、そうした縁があるかもしれませんね

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