大食い八十歳 両親のフィリピン滞在・前編
昨日までの十日間、日本に住む両親が、ネグロス島シライ市の我が家に、滞在していました。少し前に投稿したように、父も母も今年八十歳で、終活中の二人。だいぶ前から「あと何年生きられるか分からん」が口癖。身体は、あちこちガタが来ているようですが、足腰はしっかりしていて、今でも毎週のように二人でゴルフ場に通っているらしい。
日本の実家は、バブル期に作った三階建て。父は三階、母は二階の居室で、かなり急な階段を昇り降りする生活。父はまだ建築現場の監督の仕事、母は掃除・洗濯・炊事を一人でこなしています。若い頃に比べると「すっかり手抜きや」と言う母ですが、日に三度の食事の準備だけでも、相当な労働でしょう。最近、私も毎日ご飯を作っているので、よく分かります。
さて、新しい家は初めてでも、シライは何度も来ている両親。特に父は、この家の施工監督をしていたので、勝手知ったる場所です。今回の滞在目的も、いずれはこちらでの同居を見込んでの下調べ。お客さん扱いはせず、途中で一度だけレストランに出かけた以外は、散歩も買い物も、自分たちで好きなようにしてもらいました。
ただし、食事の用意だけは、私が担当。献立はいつもと同じとはいえ、量がすごい。一般的に八十歳にもなれば、いくら健康でも、もう少しは食が細くなるもんだろうと思います。ところがこの二人、特には母は、小学生の息子よりも食べる。しかも好き嫌いは皆無。
老人でなくても、中年以上の日本人は、フィリピンの米は食えないだとか、肉が固いとか文句を言う人が多いけれど、母は何を食べさせても、美味い美味いと完食。「この歳になって、息子に食事を作ってもらうとは、思わんかった」とご満悦です。まぁ、不機嫌になられるよりずっといいし、結構なことなんですが、食材の減りが早いこと。
数日も経つと、なんだか老人ホームの食事係に、就職したような気分になってきました。しかし考えてみると、私を含めて男三人兄弟を育てた母。食べ盛りの頃など、それは大変だったでしょうね。食卓での話題は、一日一升炊いても足りなかったこと、翌日の弁当のつもりだったおかずを、夜中に全部食べられてたこと...などの苦労話。
食事だけでなく、気候も良かった。雨が多いはずの今の時期、なぜか両親が到着してからは、ほとんど雨が降らない。かと言って暑さの厳しい季節でもなく、昼間でも風が通って快適な毎日。暇になると、母は私の書架にある本を読んだり、ハリー・ベラフォンテやビートルズの曲を聴いたり。父は日本から持ってきた、戦艦武蔵のプラモデルを作ってました。
これで、十日間の滞在は、平和に終わるのかと思いきや、一週間が経過した頃、思わぬトラブルに見舞われました。ということで、次回に続きます。
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