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先日、ここネグロス島シライ市内で活動するNGOに、日本からインターンとして参加中の大学生のお嬢さんと、話をする機会に恵まれました。この年齢の人だと、もう親御さんが私と同世代だったり、下手すると歳下だったり。そして話題は、やはり就活のことに。

彼女には、もう意中の就職先があるようで、なぜそこで働きたいかを語ってくれました。ところが、それが何となく優等生の模範解答っぽい。「社会貢献」「自然環境」などの言葉がちりばめられて、全体の筋は通っているけれど、本当にあなたのやりたいことはそれ?と尋ねたくなりました。

最後の方に出てきたのが、その会社はフィリピンでの事業も手がけているので、何年か日本で勤めて、機会があればフィリピンでも...。とのこと。いや、それが一番大事なことなんじゃないの? 社会貢献とか自然環境のことはどうでもよくて、本音はフィリピンで働きたいんでしょ?

ちょっと意地悪な、面接官みたいな問い詰めになってしまいましたが、じっくり話を聞いてみると、やっぱりフィリピンを含めて、海外に出たいそうです。ところがいろんな事情があって、決断ができない。おそらく周囲からは、「現実はそんなに甘くない」「家族や友達と離れて、一人でどうする」なんて言われたんだろうと推測します。私がフィリピン移住を決めた40代の頃ですら、散々そんなことを聞かされました。

でも、子供の夢みたいなことが、実は一番重要。そして大抵そんな夢は、とてもシンプルです。そもそも私は、絵を描いたり紙細工を作るのが大好きな小学生でした。要するに図画工作。それが高じて、美術系の大学に入り、工業デザイナーになりました。

よく考えてみると、図画工作の延長で、高校生の頃せっせと模写してた、松本零士さんのちょっとエロティックな美人イラスト。(当時は銀河鉄道999や宇宙戦艦ヤマトが大流行り)今だから正直に言えますが、女の裸の絵を描きたかっただけなんですよ。単なるリビドーの発露。でも、それが美大入試に必要な、デッサン力や表現力の基礎訓練になったのは間違いありません。

大学では夢が叶って(?)、女性のヌードデッサンやクロッキーもしました。ところが実際には、限られた時間で描写に専念しないといけないので、ドキっとするのは最初だけ。性的な気分に浸るどころでは、ありませんでした。

私だって就職の時には、「使いやすくて美しい生活の道具をデザインする云々」ともっとらしいことを言ってました。でも働き始めて幸せだったのは、アイデアスケッチを描いたり、デザインサンプルの仕上げをしている時。つまり図画工作。それで給料をもらえるんだから、最高でした。幸せでなくなってきたのは、デザイン決定のための言い訳作り(デザイン・コンセプトとも呼ぶ)や、デザイン・マネージメントと称して、実作業以外の日程や予算管理の仕事が増えてから。

かなり話が横道に逸れました。言いたいのは、どんな仕事を選ぶにしても、多少夢みたいでも、動機が不純でも、本当にやりたいことが、できるかどうかが問題。「何をしたいか分からない」なんて、自分の気持ちに正直になっていないだけです。周囲の人に気を遣って、やりたいことを諦めて後悔しても、誰も助けてくれませんよ。

やりたいことをやってみて失敗したら? その時はやり直せばいいだけのこと。若い頃、何かに没頭した経験は、絶対に無駄にはなりません。そもそもやらずに後悔するより、やって後悔した方が、はるかにマシだと思いませんか?


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